私はとにかく権力が大嫌いなのです。個人としてのその人は、なんの力も
持っていないのに「お上の御威光」みたいなものを勝手に背負って威張って
ひともいるし、そういう人を持ち上げる人たちもいるからややこしい。
そういう中に身を置いている人や、かつて身を置いていた人の中に、威張ら
ない人がいると「素晴らしい!」と思ってしまうのです。
江戸幕府と言うのは江戸と言う地に格差社会を形成したようにおもう。
士農工商と言う制度以上の細かい格差まで生んだ。江戸の場合はそれが
凄かったのではないかと思っている。
ここから話がすこし横にずれますが、ちょっと聞いてください。
読売新聞本社の広告部の部長さんだった方が退職後にカナダに移住された。
彼は「年金でやっていける移住生活」のような(正確なタイトルを忘れた)
本を出版し大いに売れたが、カナダ移住を求める人が増えてカナダ政府は
日本からのリタイアメントヴィザの発給を止めてしまった。 その頃、
わたしたちはバンクーバーの彼のお宅にお邪魔したのだが、話の中で彼は
こういった。「私は関西人が大嫌いでね。何しろ関西人は言葉遣いが悪い」
という。彼の奥様の出身地は宝塚なので、れっきとした関西人であるにも
かかわらずだ。 彼の話によると、大阪本社での会合で、いつも嫌な思いを
してきたという。そして私に、中原さんは天皇が向こうからこちらに向かって
来られたような場合、どんなふうに言いますか??と訊く。
私は、ここまでの話のいきさつで彼の関西蔑視に驚いていたので、あえて
こう言った。 「天皇はんが あっちから きはった」と。かれは、では
大会社の社長さんが同じように来られた時にはなんと言いますかと訊くので、
私はあえて「社長さんが きはった」といった。 かれは、そうでしょう!
それが嫌いなんですよ。東京ではね、天皇陛下の場合と社長さんの場合も
課長さんの場合も全部使い分ける言葉があるんですよ。と威張る。
もちろん、私だってそんなことは知っている、知っていて敢えて大阪弁で
返事をしたのだった。 そこで、私は次のように反撃に転じたのだった。
東京はね、明治維新後に天皇陛下をむりやり江戸城へ連れて行って、維新後
の体制つくりに利用したから天皇とは距離感があるのでしょうが、歴史的に
言えば、天皇は京都御所に長い間お住まいだったから、京都の人も大阪の人も
普段の会話でも天皇はん・・と言っていたほど身近な感じだったのです。
だから、天皇はんがきやはった、といっても何の不思議でもないんです。言い
換えれば東京というところは歴史が浅いということであって、威張るほどのもの
じゃないでしょう・・・と。 他にもかれは関西弁のあれこれを指摘したが、
そのすべてに私はちゃんとお答えした。 新聞社のお偉さんかどうかは別として
関西弁の良さは知っている、ちゃんと説明ができる。東京よりはうんと歴史が
古いので言葉が豊富で奥の深いものも多いのだと。
やっと、そうですか・・と納得?してもらえたところで、奥様が喜んでおられた。
しかし、こんなことで、どうして威張るのだろうか?とその時におもった。もう30年も
前の話である。 関西弁のなかには、なかなか味わい深いものが多い。その味わいを
知らずして非難されると腹立たしい。 豪州・パースに住んでいた頃、銀座の有名
店のオーナーの奥様が来られた時だった。会話の中で妻がちょっと変なことを言った。
なにを言ったのかは忘れたが・・私は「あほやな~そんなこというて」と言った瞬間に彼女は「紀子さん、アホやなんて言わしちゃいけません!!」と大声を上げた。
田辺聖子さんと親しくさせていただいていた時期があるので、彼女の本はよく読んだが、聖子さんは、大阪でアホやな~と軽く言う場合は愛情がこもっているのだと書かれている。東京人の彼女には「ばかもの!」と言われたごとくに捉えたのだろう。
日本でのスパイ事件の舞台ともなった銀座のレストランの奥様も関西人が嫌いだった
のかもしれない。 この場合、嫌いと言う前に関西を知らなさすぎるという方が
的を射ているかもしれないが・・。 今使われている標準語というものができて
まだ日が浅いということもあまりご存じではなかった。 NHK創立にあたって
急きょ標準語なるものが出来たのだ。 お父様、お母様という言葉もその時に
決まった。まだ日本語の歴史は浅い。 だから関西人はもっと自信を持ってほしい。
自信を持つためには、関西をもっと知ることであり、関西の言葉の理解を深めてほしい。 一方で、地方出身の漫才師が河内弁を大阪弁と間違えて全国に広めているのは
どうも気分がよくない。 大阪弁って・・もうすこし品?があるのだが・・とおもう。