中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

言葉の使い分け、誰々があちらから来ました

もう35年ほど前のことだが、東京に本社がある新聞社の元局長さんとバンクーバーで出会ったときのことですが。。。

彼は関西人大嫌い人間でした(奥様は宝塚出身なのに)。

大阪の本社で会議をするたびにイライラすると彼は言う。

彼は、私に向かって「例えばですね、あちらから課長さんが来たというときに何とといいますか、東京ならね、部長さんが来たとき、しゃちょうさんが来たとき、それぞれ言い方が違うんですよ」と。

彼の関西人蔑視の姿勢がはっきりしていたので、私は敢えて大阪弁を使いました。

「課長さんがきやはった」「部長さんがきやはった」などと。

彼は「天皇陛下の場合はどう言いますか」と言うので、「天皇さんがきやはった」と、わざと言ってみた。

彼は、顔を真っ赤にして「そうだろう。だから嫌いなんですよ」という。

それから1時間ほど話あった。

私は、次のように話しました。

あなたが持っている文化は、僅か三百年ほどの江戸文化と江戸時代の身分制度の中での差別的言語形式で先程から話されています。

私はもっと長く続いている京文化の影響も持っています。

商人の町大坂の文化も持っています。

大阪は江戸と違って差別的言語は少なく、大晦日、代官の名も知らず、という川柳が残っているほどです。

天皇陛下は、ずっと京都の御所にお住まいだったので、少なくともかんさいの人には身近な存在です。

奈良、京都、神戸と遷都されたこともありますからね。

江戸の人達は、維新後に強引に天皇陛下を江戸に連れて行ってからの事しか知らない。

だから、天皇に対する気持ちの持ち方も違うのです。と、歴史の重みを語っておきました。

誰々が、あちらから来た。

課長さんが(佐藤さんが)来られました。

部長さんが(田中さんが)来られました。

社長(和田社長が)来られました。

で、いいのではないのでしょうか。

東京では、今でも使い分けているのだろうか?

因みに「天皇がお出ましになられました」と云う言い方を私は知っています。

でも、御所にお招きを受けた際にも、私は関西的な親しみを込めて接して居ました。

それが、私の生き方でもあります。