トルコは日本とは仲良し、ロシアとは?
気になるが、日本とトルコの関係を多くの方たちに知っておいてもらい
たいとも願っている。
トルコとの過去のエピソード
◆トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一行を乗せた軍艦
沖合で岩礁に衝突し遭難するという事故が起きました。
この事故で、特使を含む518名は死亡しが、69名は地元民の手厚い
救護により、一命を取り留めました。
村人たちは、台風により漁ができず自分たちの食べるものさえ無い
状態だったにもかかわらず、トルコ人に食べさせ介護したそうです。
また、遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬りました。
◆ この話は、和歌山県知事から明治天皇に伝えられ、その後、遭難者
たちは明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられました。
このことは、日本中に大きな衝撃を与えました。多くの日本人が
この話に同情し、ある「山田寅次郎」という人物が、一民間人として
新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集めそれを携えて
トルコに渡りました。
1892年4月4日、イスタンブールにようやく上陸した山田は外務大臣
サイド・パシャに義捐 金を手渡し、皇帝アビドゥル・ハミト2世に
拝謁しました。山田寅次郎はトルコ側の要請でそのままトルコに留まり
日本語を教え、日本とトルコの友好親善に尽くしたそうです。
この時の教え子の中には、後にトルコ共和国初代大統領となるケマル・
パシャ(アタチュルク)がいました。
◆ 日露戦争では、東郷元帥率いる日本海軍が、日本海で世界最強と
言われたロシアのバルチック艦隊を打ち破り勝利しました。
トーゴーと言う名のビールが出来たりしたのです。有色人種が世界で
初めて白色人種に勝ったということは凄いことだと、日本びいきな国に
なったようです。
◆ そしてこんなこともあったのです。イラン・イラク戦争の最中、
「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」
と世界に向けて発信しました。日本の民間企業職員やその家族が、
イランに住んでいました。その日本人たちは急いでテヘラン空港に
向かいました。しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった
のです。
世界各国は自国の救援機を出して救出していましたが、日本政府は素早い
決定ができずにいました。
そこに、二機の飛行機が到着しました。それはトルコ航空の飛行機でした。
その飛行機は日本人215名全員を乗せて成田に向けて飛び立ちました。
来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかったそうです。
そのことを前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は、のちに次の
ように語りました。「エルトゥール号の事故に関して大島の人たちや日本人
がしてくださった献身的な救助活動を、今でもトルコ国民たちは忘れていま
せん。
私も小学生のころ歴史の教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえ
エルトゥール号のことを知っています。現在の日本人が知らないだけです。
飛んだのです」と。
◆ ロシアとは??? 個人的なことを書けば、シベリア抑留でマイナス
30度の中で重労働をさせたような国を好きにはなれない。
父はそのために死んだのだから。