中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

おじいちゃんの(貴重な)戦争体験(12)

 「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がある。
幕府の京都守護職だった松平容保が、賊軍として追いやられたことは、NHK大河
ドラマ「八重の桜」に詳しく描かれている。
 戦争の場合もそうなのだ。勝ったほうが正義であり、負けたほうが不正義だという
扱いになる。どのような戦争であったのか、各戦線において誰が何をしたのかなどは
問題になりにくい。要は勝てばよいのだ。
 戦後68年が経つ。その間に戦争を描いた映画は数多く作られた。そのほとんどが
アメリカやイギリスによって作られている。勝った側は映画も作りやすいのだ。日本も
戦争映画を作っているが、アメリカに勝ったというような内容のものは一つも作られて
いない。ドイツの同じで、戦争映画を作れないのだ。ドイツの場合は、ユダヤ人への
大量虐殺問題があるだけに作りにくい。
 日本はアメリカのハワイを奇襲したときに、一般人に死傷者を出しているが、それ以外
では一般人への攻撃もないし、一般人を巻き込む機会さえなかったほどだ。
 しかし、アメリカは日本の一般人への攻撃を敢えて行ったということをここで明記して
置きたい。
 第2次世界大戦として(ヨーロッパ戦線、アジア戦線も含めて)アメリカ軍の戦死者は
約29万人に対して、日本軍の戦死者数は約230万人にも上る。
 一般人が戦争に巻き込まれて死亡した数字は、アメリカ人が約5千人弱なのに
対して、日本の一般人は約80万人以上の方がなくなっている。
 東京、大阪、名古屋、福岡、神戸だけではなく各地の中小都市も空襲を受けている
からだ。特筆されるのは、沖縄戦であり、広島や長崎への原爆投下である。
 大空襲も、原爆投下も軍事施設攻撃が目標ではなく、当初から一般人を対象にした
空襲であり、爆撃だったということをはっきり記憶しておくべきだと思う。
80万人という数字がどれほど大きいかは、阪神淡路大震災東日本大震災津波
と比較してみると、戦争というものの恐ろしさがわかるかもしれない。
被災した家屋の数は、震災とは比較にもならないものだ。
 そういう意味では、アメリカは非人道的なやり方をしたことになる。そしてこれは
国際法違反でもあるのに、なぜ国際社会はアメリカを裁かないのか、許されるのかと
いう疑問が浮かび上がる。
 戦後の軍事裁判(東京裁判)でも、日本の実が裁かれ、アメリカの国際法違反は
問題にされることはなかった。ただ一人、インド人裁判官だけが、日本の戦争責任は
ないと主張したことが記録されている。
 東京や、大阪の空襲の場合も、人々が逃げられないように街の周囲から焼夷弾
焼き尽くす方法を取っており、この場合も明らかに非人道的なのだ。
 私は、カナダ、豪州に約15年間住んでみて、西欧人の論理というものが見えてきた。
日本人のように甘くはない。彼らは独自の論理を持っていて、子供の時からそれを
鍛えられているのだ。自分を正義に相手を不正義に仕立てあげる論理を彼らは
子供の時から教えられている。そういう国々を相手にする外交はとても難しいのだが、
ディベイト教育というものをおろそかにしている日本という国は、これからも負け続ける
のではないかと危惧する。
 終戦記念日を前に、私の戦争体験を書き綴ってきたが、子供だった私にとっても
戦争は過酷なものだった。長男である父は、戦後シベリアに4年半も抑留され、帰国した
その日に胃がんの手術を受け間もなく亡くなったので、戦死扱いとなった。
4男はビルマ戦線で砲撃を受けて戦死し、5男はフィリピン沖海戦で戦死した。
次男は、海南島(中国)から引き揚げたが、マラリア病で数年間も悩まされていた。
3男は、警察官だったので厳しい戦地へ行かずに済んだ。
6男は、私より5歳年上なので召集されることはなかった。
祖父母にとって6人の子供のうち3人が戦死したことになるが、子供を3人も戦争に
奪われる悲しみというもんがどんなものかがわかるだろうか。
 私は大切な父を、戦争で失い、孤独な中で生きることとなった。
そういう戦争がなぜ起こったのかを、みんなもう少し知ってほしい。
軍が悪い、東条英機が悪いとみんなは言う。しかしそうじゃない。国民が無知なのだ、
国民が幼稚なのだ。その様な幼稚な国民をマスコミがミスリードした結果が戦争に
つながったと私は結論づけている。今もマスコミによるミスリードが行われている。
 憲法改正問題などは、もっともっと国民に憲法をよく理解させてから、どうあるべきなのかを
論議すべきだと思う。マスコミの報道だけが頼りの国民が多い間は、日本に本当の
民主主義など育つはずがない。もっと視野を広く持ち、世界観を鍛えなければ、日本という国は
今後も負け続けるだろうと心配している。
若者よ、海外旅行をするのはよいが、遊びに行っているだけでは駄目だと思う。
海外旅行の中に、学ぶべきことがいっぱいあることを知ってほしい。何かを学んでこそ
海外を見る意味があるのだ。明治維新後の日本人は、そうして視野を広く持つことができた。
海外旅行が簡単にできるようになって、だれも学ばなくなってしまった。そう思う。