中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

おじいちゃんの(貴重な)戦争体験(11)

 あの戦争のことを、日米戦争ともいい、第2次世界大戦ともいい、太平洋戦争ともいい、
大東亜戦争ともいう。
アメリカ側の公式な見解は「太平洋戦争」であり日本側の公式見解は「大東亜戦争」である。
 日本軍のハワイ奇襲攻撃によって始まった戦争なので、アメリカでは奇襲という卑怯な
方法で戦争を始めた日本を懲らしめようという戦いだったということになっている。
ブログで詳しく書くのは大変なので、わたしのHPのどこかに詳しく書いたものを読んで
いただきたいが、ここではそのさわりを書いておこう。
 当時のアメリカは、国民が第1次世界大戦の疲れから厭戦(えんせん)気分が漂って
いた。イギリスのチャーチル首相が何とかアメリカを戦争におびき出そうとしても、ルーズ
ベルト大統領はその誘いに乗れなかったという事情が裏にあった。
 しかし、アメリカは日本がひそかにハワイ奇襲を計画し実行に移すことを予め知って
いたのだ。
 当時の日本軍の暗号は、アメリカによってすべて解読されていて、日本軍の計画や
動きはすべてアメリカ軍の知るところとなっていた。
 戦後、このことがアメリカ議会でも問題になっている。事前に日本の奇襲を知っていたの
ならハワイの住民をなぜ犠牲にしたのかと。
 アメリカとしては、日本が「宣戦布告」もしないで闇討ち攻撃してきたのだから、国民を
守るために反撃したことにしたかったのだ。
 相手に先に手を出さしておいて、悪いのは先に手を出したほうだという手法である。
日本軍は、暗号がすべて解読されて何もかも筒抜けになっているとは思わずに戦争を
仕掛けたということになる。なんとばかばかしいことだろうか。
 そのうえ、日本軍はアジア各国にまで兵を送ってしまった。手を広げるだけ広げてしまった
わけだ。満州、中国各地、シンガポールビルマ、フィリピンにも兵を送った。
 ビルマなどではイギリス兵、インド兵などと戦った。フィリッピンではオーストラリア兵とも
戦った。今でも豪州の高齢者は日本にひどい憎しみを持っている人たちが多い。
総領事が戦没者慰霊等に詣でたいと申し出たときに、断れた経緯があるのもそのためで
あった。
 アジア各国の人たちに辛い思いをさせたことは間違いない。それは従軍した父や叔父の
証言からも感度も聴いたことである。
 日本がアジア各国の人々を苦しめたことは、これまで何度も聴いた。新聞でも雑誌でも
書かれている。しかし、どうしてアメリカのことは悪く言われないのか。書かれないのかと
思う人もいるだろう。