中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

人種差別を深く考える(1)

 世の中には醜いことがたくさんある。その原因となる一つの要因は
多くの人が「他の人よりも優位な立場でいたい」という気持ちだろうと思う。
 自分に自信のない人でも、あいつよりは、おれのほうがましだろう・・などと
思いたい気持ちを持っている。
 それは、毎日の生活の中で誰かと自分を見較べていることになる。
己に自信のない人ほどその傾向は強い。
 普段の生活の中にもその様な比較をすることでの差別感を持つ人がいる。
ところが、日本人以外の人たちに対してはどうなのだろうか。
 世界のどこに行っても人種差別は存在する。人種差別のない、国なんか
ないだろうと思う。私はオーストラリアに14年間住んでいたが、比較的人種
差別のない豪州でさえ人種差別は存在する。そして、あからさまな差別をする
人というのは、やはりレベルの低そうな、教養のなさそうな人たちによって
起こされる。教養のある人にも差別意識はあるのxだろうが、彼らはあからさまな
差別などはしないものだ。
 今日は、戦争当時の差別教育について書いておきたい。
当時の日本政府というか軍部というものは米英に対しては「鬼畜米英」という
言い方を標語にして国民に徹底させた。米英人は鬼のような人間なのだと
教えたのだ。だから、いよいよ戦争が終わり駐留軍が日本に上陸するころには、
日本の若い女子は、すべて米英軍によって犯されるだろうというデマが全国を
駆け巡ったものだった。事実はそうならなかった。
 米英人は鬼畜だと教えたが、アジア人たちはなんと教えたのだろう。
中国人たちのことを、子供たちは(大人たちも)チャンコロと呼んでいた。
朝鮮人(今の北朝鮮と韓国)にはチョウセンと言ってはいたが、それはとても
見下げた、見下した言い方だったのだ。
 朝鮮人が「チョウセン・チョウセンといってなめるなよ。同じ飯食ってどこ違う」と
大きな声で」反論していた風景を何度も見ている。
 中国人や朝鮮人だけではなく、アジア各国の人たちに対して、日本の教育には
「人類は誰もが平等、お互いに尊重しあいなさい」などとは決して教えなかった。
 日本人は神に守られた国、困ったことがあれば神風が吹いて守ってもらえる国
だと、だれもが信じていた。何ともばかばかしいことだが事実である。
 当時の政府は、アジア各国から優秀な学生を日本に留学させ、高い教養を
与えてから本国に戻し、それぞれの国で「大東亜共栄圏」という理想を実現しようと
考えていた。
 しかし、現実的には、日本に留学し教養を身に着け本国に戻った彼らは、決して
日本のためには働くことはなかったし、彼らの多くは「抗日ゲリラ」に加わって日本軍を
苦しめたものだ。どうしてそういうことになったのかを考えたい。
 日本留学したアジア諸国の優秀な学生たちは、日本がアジア人蔑視の教育をしている
ことを知ったからである。日本人は、自分たちは特別な存在だと勘違いし、他のアジア諸国
の人たちを2段も3段も下の存在、人としての対応というよりもサルや犬のように扱われて
いることに気が付いたのだった。
 そして、恐ろしいことに、戦後68年が経った今でも、日本人のアジア人への態度の中に
まだまだ戦時中の教育の影が残っているという事実である。
 国と国は対等の立場、人と人も対等な立場、お互いに尊重し合ってこそ、本当の信頼
関係が生まれそこに平和もある。
 人種差別ほど醜いものはないと私は考えている。