中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

おじいちゃんの(貴重な)戦争体験(最終回)

 今日は終戦記念日。記念日というのはどうも違和感がある。
あの日に戦争が終わってほっとしたことは確かであるし、だれもが
そう思ったことだろう。だけど「記念日」という言葉にないかしら、すっきり
しないものがある。
 多くの国民が、兵隊として戦い、民間人も銃後の戦いを余儀なくされた。
厳しい戦いの中で死んでいった兵士たちの無念はいかばかりだったろうかと
思う。叔父が亡くなったビルマ戦線は過酷な戦いだったと聞く。もう一人の
叔父がなくなったフィリピン海沖でのアメリカ海軍との海戦も壮絶だったと聞く。
 南洋の島々では多くの玉砕があった。玉砕という手段を選ばせた日本軍の
構造は、白虎隊の討死にもつながる日本独自の死に方だと思う。
命を粗末にしてしまう精神構造なのだ。
 昨夜の花は美しい。私は桜が大好きである。しかし、桜のつぼみが11月から
12月、1月、2月の厳しい寒風の中で芽を脹らませている姿を克明に観察して
いる人はいるのだろうか。桜の花の命が短いことと、人の命の散り方とを
合わせて考えるのは短絡すぎる。人の命は、大切なのだ。桜の花は散っても
木はなくならない。花が散ってすぐに葉があふれ出てきて命を支える。
花散っても、木は極寒の中で次の芽を育てていることをもっとよく観察してほしい。
 戦争というものは、なにがなんでも避けなければならない。
私にはアメリカ人の友人が多い。仲良しである。しかし、アメリカ政府の日本の
一般人を目的とした非道な攻撃を許せない。
それと同じで、韓国や中国人は、日本軍の非道な行為を許さないだろう。
何しろ中国は戦死者132万人、一般人死亡者数は980万人以上だといわれている。
歴史は厳しい。お互いに許しあえることが望ましいが、忘れ去るためには、その事実が
あった時間の10倍を要するという。韓国や中国の人々から許してもらうには、あと
200年もかかるだろう。
日本人は、自分の命を粗末にするが、過ぎ去ったことを忘れやすいことでも優れて?
いる。大都会への大空襲や、広島、長崎への原爆投下さえ、多くの人々は忘れようと
している。
 だが、ひとたび戦争が起これば、これは過去のことではない。現実として戦争が
起これば、大地震などの天災とちがって、諦めることのできない悔いの残るものと
なることを忘れないでほしい。
 おじいちゃん(もうすぐ79歳)の戦争体験はこれで終わるが、歴史は終わらない。
多くの人たちに歴史を学んでほしいと思う。日本人ほど歴史を知らない国民も少ない
と思うからだ。外人と話してみると、そのことがよく理解できるはずだ。
 私のホームページ(中原武志)で検索・・の中の、「JA・NEWS」をを
クリックし、その中の「本と寄り添いながら」をクリックして「世界を見る・
考える」のNO1~40までに、世界の様々なことを書き記した。
アメリカ問題、アジア問題、靖国問題なども記載してあるので、関心の
ある方はどうか読んでいただきたい。