中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

第2の人生(32)

 このシリーズは、大急ぎで書き進めて終わりにしようと考えている。
1992年にパースに移住して、西豪州日本クラブの会長を6年間の内
2期4年間務めさせていただいた。その間に創立10周年記念パーティー
を開催することもできた。
 しかし、日本クラブだけでは、助け合いという役割を果たせないので、
別の組織を作って在留邦人へのさまざまな働きかけをしたいと思うように
なった。
 有志に呼びかけると最初15名ほどが集まった。しかし、ボランティアとして
どこまで本気に取り組み気があるのか、しっかり見極めたいと考えていた。
時の総領事は、「中原さん、さっさと作り上げた方がいいのじゃないの」よ
言ってくださったが、ある意味で落後者が出るのを待っていた。
 会合を重ねること1年半後にようやく「社会福祉法人・サポートネット
虹の会」を立ち上げることが出来た。
 その当時に私が書いた理念は今もそのまま現在の虹の会に受け継がれて
いる。
私の理念は、かつて「神戸暁星学園」の時と同じ趣旨のものだった。
 その前年だったと思う(1999年)当時、全豪日本クラブの会長をしていた
ので、東京で開催された「日系人大会」に豪州代表として参加した。
この大会は、全世界の日系人たちが300名も集まっていて、3日間にわたって
熱い討議を行っていた。