中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「コンプレックスとプライド」 ジダンは地団太踏んだ?

 
 同じ作詩を見ても、その人の感性によっていろんな考え方が
あることを知った。
私の書いた『ひかりがいっぱい』を聴いて、曲だけに耳っを傾けた
ひと。3度も歌詞を読んでから曲を聴いたと言う人。
がん患者を励ます歌かと、そのままに受け止めた人、歌詞がストレートだなと思った人。「ひかり」をそのまま「光」として受け止めた人など、多種多彩のようだった。
 そんな中、私のこれまでの人生を見つめていてくれた人がいた。
これはがん相談を受ける中で作られた歌詞だと書かれていますが、違いますね。中原さんのこれまでの人生を通じて、弱者にひかりをという気持ちの
集約になっていますね、と書かれたメールが来た。そうなんだよな、よく
理解してくれたね、と嬉しくなった。
「ひかり」の幅を狭く見る人と、「ひかり」の幅を大きく広げて観ることが
出来る人によって、受け止め方が全く違う。それは感性としか言いようがないかも。サッカーワールドカップも近づいてきた。あの時のジダンの悔しさ
を書いたものがあったので載せてみた。
 
2006年8月号「コンプレックスとプライド」
連載 なんでも ホンネ・コラム 
     
 人間には厄介なことに「コンプレックス」と「プライド」があります。
どうして厄介かというと、これさえなければ、もっと気楽に生きて
いけるのにと思えるからです。最近はプライドを持っていないのかと
思えるような新人類もいますので、誰でも持っているというのには
異論が出るかもしれません。では、動物にはないのかといいますと、
専門的なことはよく知りませんが、私の大好きな犬で申しますと、
犬達はプライドをしっかり持っているように思っています。特に
名犬といわれる50頭ほどの名犬と接して、その犬達に顕著なプラ
イドを感じました。コンプレックスがあるのかないのかはわかりま
せんでした。
 さて、どうしてこの問題を取り上げたかというと、サッカーワール
カップの決勝戦でのジダン選手の行為について考えていたからです。
華々しい彼のサッカー人生を飾る最後の試合でしたし、フランスは
優勝に向けて優勢でもありました。そんなときにレッドカードをも
らい退場させられるような、相手選手に頭付きを食らわせるという
蛮行を敢えてやったのはなぜなのかという疑問でした。早朝まで試合
を見ていた私は、あの瞬間に頭が真っ白になりました。今回のワール
カップを通じて、最高の選手だと思って応援していただけに彼の
蛮行を、にわかには信じ難く、また大変残念な思いで一挙に気持ちが
暗くなるのを覚えました。
 相手選手から「母と姉に対する、とても言いがたい侮辱の言葉を
何度も受けた」ことが蛮行を引き起こしてしまった原因だとジダン
言っています。事実かどうかは、今後の調査を見ないと断定できま
せんが、もしそれが事実なら、彼の行為を蛮行と非難するだけでは
納得できないものになるでしょう。たとえ、それが事実でも、世界中
で多くの人が見ている目の前での蛮行は、子供達に対する影響も考
えると、暴力は許されるものではないとする意見もあるでしょう。
ジダン選手も、その点については謝罪しています。
 さて、あなたならどうでしょうか。私は若いころ、進入禁止の標識
を見落として侵入し、待ち構えていた警官に捕まりました。しかし、
どう考えても進入禁止の標識の位置が見えないところであったのと、
警官が狙いを定めるように待ち構えていたことなどから、署名を拒否
して、検察庁に書類が送られました。結果的には、検察庁は、私の言
い分を認めて、標識の位置も変え、私は罰則を受けないですみました。
検事が「僅か3千円ですから、検事を煩わせないで払ってやってくだ
さいよ」といいますので、これはプライドの問題ですと答えますと、
大笑いして「そうですね」と仰いました。プライドとコンプレックスは、
いろんな局面で物事を複雑にします。国際的にも私的にもなかなか厄介
なものなのです。
 私は二年前に屈辱的な言葉をある人から浴びせ掛けられましたが、
歳のせいか、おとなしく引き下がりました。このたびのジダン選手の
行為を正当化して英雄化しませんが、ある意味において、彼の名誉ある
サッカー人生を棒に振ってまで、侮辱に対して敢然と向かい合ったと
いう点では評価したいと思います。これは彼へのフアン心理なので
しょうか。それとも、多くの方の共感を得られるものなのでしょうか。