中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

中村勘三郎さんを悼み、医学にモノ申す

 歌舞伎俳優の中村勘三郎さんが57歳という若さで亡くなってしまった。
実は、私の歳では先代の勘三郎さんの方に深い愛着がある。
亡くなった勘三郎さんは、長い間「勘九郎ちゃん」と呼んできただけに
そう呼ぶ方が懐かしさを感じる。
 しかし18代中村勘三郎を襲名してからの活躍はすさまじかった。
そんなに頑張らないでも・・・と思うほどに、次から次へと趣向を凝らした
出し物をやり続けられた。
 彼を特に身近に感じたのは今年だった。
彼は昨年突然の病で舞台を離れることになった。病名は「突発性難聴
医師からは引退を勧告されていたようだが、何くそと歯を食いしばり、再起に
向けてがんばった。
 18代目を襲名してから、大活躍を続けていた彼にとって「引退勧告」は
死よりも辛かったという。
 彼が昨年のその辛さを吐露したのが今年の月刊文芸春秋の7月号あたり
だったと思う。そんな病気もあるのだ・・・と強く心に残ったものだが、 私が、
彼の症状とほとんど同じ病状を経験し始めたのが9月に入ってからだった。
特に9月から11月半ばまでは死にたいほど辛かった。
 勘三郎さんの場合は「突発性難聴」と診断されているが、私の場合は
「診断名がつかない」ということなのだ。多分、加齢によるものがあるからだろうと
思う。
 彼は、難病を乗り越えて舞台に復帰した。その経緯を知ることにより、
先代よりも今の中村勘三郎により親しみを感じるようになっていた。
 舞台復帰されて間もなく、がんが襲ってきた。結果的には肺炎の悪化による
ものだと言うことだが、がんの手術を行った後の抗がん剤による間質性
肺炎が命を奪ったものではないかと推察している。
 彼を失った歌舞伎界は寂しくなるだろう。二人の息子に、一段と成長して
父の穴を埋めてほしものだ。ご冥福をお祈りしたい。
 一つだけ書き足しておく。
 勘三郎さんは「突発性難聴」と診断され、引退を勧告された時、納得して
いなかった。そしてやがて「名医」と出会ったと書かれていた。
今回のがんの場合には、手術は大成功だったと言うが、肺炎を発症し、それを
治すのに、2度も病院を変わったということだ。
 これは何を意味するのか。あまりにも専門化させ、細分化されている現在の
医療においては、「病院に任さておきさえすれば大丈夫」ということではなくなって
来ているということでもある。
 加齢という名の病名はないのに、医師は「加齢ですね」とか「歳のせいですね」
「老化現象ですね」などという。要するに、現代の医学では、まだまだわからない
ことが多いと白状しているようなものなのだ。
だから、「経験があり、なおかつ幅広い医学知識を有する意思を探す」ことが
とても難しくなってきている。