中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

旅の思い出(20)シリーズ最終回

 JA・NEWS新聞 連載 2012年10月号
バチカン市国(イタリア)
 
世界一小さな主権国家
 バチカンというのは、イタリアのローマ市内のごく一部にあたる地域に存在する、世界一小さな「主権国家」である。
 バチカンは、カトリック教信者にとっての聖地となっているが、もともとは聖ペトロ(キリストの弟子の一人)の墓があったことから聖地としてあがめられていた土地である。
326にローマ司教が教皇として全カトリック教会に対して強い影響力を及ぼすようになったころからカトリック教会の本拠地として発展していったようだ。755年から19世紀まで存在した教皇領の拡大にともなって栄えるようになった。
 
主権国家の誕生
 バチカンは、最初から国家だったわけではなく、宗教と政治の駆け引きの中で、複雑な経緯を経て「国家」を樹立しているが、国家となったのは意外と新しい。
 私たちの世代では、第2次世界大戦時の「東條英機(日本)、ヒットラー(ドイツ)、ムッソリーニ(イタリア)」は、枢軸国首相として、とてもよく知られた名前である。まだイタリア王国と呼ばれていた頃だったころ、ローマ教皇庁イタリア王国ムッソリーニとの間に結んだ「ラテラノ政教条約」によって、バチカンの独立が認められた。独立国家を認める条件として、教皇側がイタリア各地に持っていた「教皇領」の放棄があった。
 ムッソリーニは、信仰心からバチカンの存在を認めたのではなく、自分の国際的地位を高める目的だったといわれている。彼は「キリスト教は、最も堕落した宗教であり、イスラム教の方が合理的だ」「教会はがん細胞だ」などと言ったという。ムッソリーニは、ヒットラースターリンとともに歴史に残る独裁主義者といえるだろう。結果としては、彼の狙いとは違った結果となり、カトリックはますます栄えることとなった。
 
 バチカンを訪れた人は、誰もがあの美しい構造美に心を奪われることだろう。いろんな映画にも映像が出てくるが、やはりあの円柱の列柱回廊が真っ先に目につく。
カトリック教の大本山というべき現在の2代目サン・ピエトロ大聖堂は、120年の歳月をかけて1626年に完成している。教会自体の大きさは2万3千平方㍍(土地)で、世界最大である。教会の隣にバチカン宮殿、バチカン美術館もあり全体の規模としても世界最大である。
サン・ピエトロというのは、聖ペテロという意味であり、聖ペテロの墓所があった場所に建てられたので、そう呼ばれるようになった。
大聖堂建築には120年の歳月をかけているが、建築途中の1547年からは、建築主任にミケランジェロが選ばれている。その時すでに彼は72歳だったそうだが、それまでの設計を大幅に見直し、すでに建築が終わっていた部分を改造してまでドーム構造を補強している。もし、ミケランジェロが建築主任になっていなかったら、サン・ピエトロ大聖堂は、今とは違ったものになっていただろう。彼は大聖堂の建築主任だけでなく、大聖堂の中に後世に残る素晴らしい彫刻「ピエタ」を制作している。
ミケランジェロ・ブオナローティ14751564)は、イタリア盛期ルネサンス期彫刻家画家建築家詩人として、西洋美術史上のあらゆる分野に大きな影響を与えた芸術家である。その多才さから、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じく、ルネサンス期の典型的な「万能人」と呼ばれることもある。
ミケランジェロの彫刻の「ピエタ」(サン・ピエトロ大聖堂)と「ダヴィデ像」(アカデミア美術館)は、ミケランジェロ20歳代の時の作品である。また、ミケランジェロの絵画作品は西洋美術界に非常に大きな影響を与え、フレスコ画システィーナ礼拝堂の「システィーナ礼拝堂天井画」と祭壇壁画「最後の審判」は著名だ。サン・ピエトロ大聖堂の主ドーム部分はミケランジェロの死後になって、別の設計に変更されて完成している
とにかく、大聖堂の内部の美しさは、素晴らしい。世界中に大聖堂はいくつもあるが、これほど素晴らしいものを観(み)たことがない。巨大であり、偉大であり、美しく、華やかで、厳かでもある、という程度の表現しかできない自分が情けない。
 
聖堂のドームに登る
観光案内書などに、「ドームのてっぺんまで登る」と書いたものを見たことがなかったが、これはお勧めである。大聖堂の入り口の脇のほうににエレベーターがあって、途中までは登れるのだが、そこからは細く暗い階段を、ドームに沿ってぐるぐると回りながらてっぺんまで上り詰める。かなりしんどいので、体力に自信のない方にはお勧めできない。その時は夏だったから、汗びっしょりになった記憶がある。ドームのてっぺんのデッキから見える風景は素晴らしい。バチカンはもちろんのこと、ローマ市内が一望できる。その時に写した360度写真を見ながら書いている。
 
ローマ法王様と会う
一般的に法王様と呼ばれているが、教皇様という方が正しいのかもしれない。パースに移住する前だったから、たぶん1990年ごろだったと思うが、クリスマスの日にローマに滞在していたので、サン・ピエトロ大聖堂へ行った。ローマでは、クリスマスの日は、全ての公共交通機関がストップするからバスにも乗れないのでタクシーで行った。早い時間だったせいか、大聖堂に入るとまだ人が少なかったので、中央の席に座った。まさか大聖堂に入ってミサに参加できるなど思ってもいなかった。もちろんその日は、大聖堂観光などはできない静粛な日である。
やがてミサが執り行われた。私は、かつてはプロテスタントだったので礼拝のやり方は熟知しているが、カトリックのミサは初めて経験した。妻などはキリスト教に全く関心がなかったので、どのように感じながらミサに参加していたのだろうと考えるとおかしい。
ミサが終わると、法王様が正面の祭壇から大聖堂の入り口の方に歩み寄って行かれる。その通り道の傍(そば)に座っていたので、法王様を間近に拝見することになった。当時の法王様は、名法王として知られるヨハネ・パウロ2世(在位期間1978~2005年)だった。
そのあと法王は、大聖堂のバルコニーから全世界に向かって、各国の言葉でメッセージを発信されるのが恒例になっている。テレビなどでご覧になった方もおられることだろう。
信者以外は関心が薄いだろうが、法王の言葉は世界に大きな影響を与え続けているようだ。バチカン放送というのがあって、毎日世界に向けて法王の言葉を流していたので、キリスト教圏の各国政府首脳は、その声に耳を傾けていたとされる。2012年6月からはホームページによって法王様のメッセージを伝えるものに変わってきている。短波による放送は今も続いているようだ。
何しろ、バチカンというのは、時代の流れに沿うのがうまい。聖書の中に書かれているかどうかをとても重視する教団もある中で、バチカンは時代に即した対応を見事なまでに変化させる。地動説、天動説論議の時にも、最終的には時代に合わせる対応をしてみせた。
 
固定資産税をめぐって
 今、注目していることがある。ユーロ圏は、ギリシャから始まった経済危機が、アイルランドポルトガル、スペイン、イタリアへと広がっている。イタリアでは、歴史上語り継がれるような政権が現在のイタリアを支えている。マリオ・モンティ首相も含めて学者だけで組織された政権が、経済危機のイタリア救済に努めていて、評判も良い。
私が注目しているのは、経済危機から逃れるために固定資産税をバチカン所有の土地建物にも課税することを決めたことだ。バチカンは、イタリア国内に多くの土地建物を持っている。これまでは、日本と同じで宗教施設は課税対象ではなかったが、経済危機の中、ついに宗教施設にも課税をすることに決めたのだ。 
もし、これが実現するとイタリア経済に多大の貢献をすることになるのだが、はたして実行に移されるかどうかを注目したい。モンティ首相は2013年春には引退すると公言しているだけに、その後の政治家による政権に移ると、何もかもが反故(ほご)になってしまう可能性があるからである。反故にさせるだけの政治力をバチカンが持っているということでもある。そのバチカンも、今は財政スキャンダルで大きく揺れていて、世界中の注目を集めている。
 
旅のあり方の提案
「旅の思い出」を20回にわたって書いてきた。40年ほど前に、初めて海外に行った時は、強烈な印象で、帰国してから半年ほどは、頭が変になるほどだった。夢を見続けているようだった。だが、今の若い人たちは違うと思う。何しろ、あらゆる情報が満ち溢(あふ)れているからだ。だから、初めて訪れた土地でも、以前に来たことがあるような、という錯覚を起こすかもしれない。今は、恵まれた時代なのか、損な時代と言うべきなのだろうか。
 ショックを感じない旅というのは、面白くないように思う。感動も感激も生まれないだろうと思う。だから、今の時代にあっては、なおさら普通の旅をしていては面白くないのではないか。旅行案内に書いてあるような旅は、「デジャヴ」現象を味わうだけになってしまうかもしれない。人との交流、文化とのふれあいを旅の基本にすると、違った味わいの旅になるのではないかと私は思っている。