中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

海外旅行あれこれ(6)ベニス

すっかり忘れていました。申し訳ありません。
この記事は、前にも書きましたが、豪州のJA・NEWS新聞に連載したものです。
(6)から再開しますので、お読みください。
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旅の思い出あれこれ 「ベニス」 (イタリア)
  
 不思議な街ベニス。驚きの街ベニス。ほかにあの時の感動を伝える良い言葉が見つからない。ベニスは「ベネチュア」とも「ベネチア」「ヴェネツィア」ともいうが、ここでは「ベニス」で統一しておきたい。
今のようにTVの観光番組やネットでも見られるようになってしまっては、その不思議さも、感動や驚きもないかもしれない。
私がまだ若かったころは、シェークスピアの喜劇「ベニスの商人」を本で読んで、その名を知っていた程度だった。21歳のころ、映画「旅情」に酔いしれたが、ストーリーに溺れて「ベニス」を観ていなかった。37歳のころの映画「ベニスで死す」が上映されて初めてベニスを少し感じた。007の第11作目の「ムーンレイカー」では、ジェームズ・ボンドホバークラフトゴンドラに乗っての大活劇の中で、カナル・グランデ大運河に架かるリアルト橋だけがやけに強く印象に残った。
若いころは、案外ぼんやりと映画を観ていたのだと、己の幼稚さにあきれている。こんな感じだったから、何度もイタリアに旅行しながらベニスをぜひとも訪れようとは考えていなかった。
ベニス観光は、ロンドン発の長距離バスで西ヨーロッパ各地を約1カ月回った時に立ち寄った。いつもは個人旅行でたっぷり日数を取るのだが、この時はツアーだったので、わずか1日だけのベニス観光となった。
本土から小さな船に乗せられてベニスへと向かう。この入り方が良い。いかにもベニスらしい入り方だった。ベニスに入るには、本土から鉄道 でサンタ・ルチア駅に入るか、車だとローマ広場まで入る方法がある。しかし、島内では自動車はおろか自転車さえも通行が禁止になっている。島内での移動はすべて徒歩か船だけである。
小さな船が島に近付くと、海に浮かんでいる島という感じではなく、「海に浮かんでいる街」がズームアップしてきて、なんとも不思議なおとぎの国に向かっているような感覚に襲われた。その瞬間に、これまで読んだ本や、映画などがうまく繋(つな)がって脳裏に再現してきたから不思議である。
ベニスに入るとまずは、サン・マルコ広場サン・マルコ寺院を案内される。ここで説明(英語での)を受け、あとは自由行動となった。ベニス観光についてもっと知りたい方は、ネットなどで詳しく調べていただきたい。
私たちは、とにかく水上バスのチケットを買って、乗りまくった。陸上の観光バスのように乗り降り自由になっているから、一駅(船着き場)ごとに降りては周囲を歩き、また乗って次に移動する。これを繰り返しているうちにベニスの島内事情がだんだん分かってくるので、あとで散策する時に役立つ。水上バスカナル・グランデ大運河を中心に運行されている。家内は、「リアルト橋」では、「ほら、ジェームズ・ボンドの…あの橋が」と大喜びだった。
人は誰でも、映画で観た場所を自分の目で確かめた時に感動を覚えるようだが、家内は特にその傾向が強いようなので、こちらまで嬉(うれ)しくなる。ベニスには、大小の運河があるが、私たちの知る運河というのは、陸地を掘って作るのだが、ベニスの運河は小さな島が100以上もあって、島と島の間が「運河」と呼ばれている。本当は「潟」の上に顔を出している「島」という感じなのだ。島と島を結ぶ橋が数え切れないほど作られている。橋は、どれもアーチ型になっていて、橋のデザインを観て回るだけでも面白い。
運河の部分を埋め立てれば大きな島となるだろうに、どうして今のような形態になったのだろうか。島を埋めて運河の部分をなくせば、潟という浅瀬には本土から流れてくる2本の河と朝夕の潮の流れですぐに埋没してしまう。これらの水の流れを自然のままにすることで、埋没から逃れてきたのだ。船を通すために運河を作ったのではなく、水から逃れるために自然に任せてある部分が運河と呼ばれている。最近サン・マルコ広場が水浸しになることが多くなって、地球温暖化のシンボルのような扱いを受けているが、その実態は、古人の知恵を忘れて運河の一部を埋めてしまったのが、その原因となっている。
 かつて、何百年間も世界の中心的な
島を散策すると、他の都市では絶対に見ることのできない建物構造がよく分かって面白い。
ベネチュアガラスとゴンドラ
 最近の映画「カジノ・ロワイヤル」では、ベニスの建物が水面下からも詳しく撮られて
いて、その構造がよくわかる。
ベネチュアガラスは歴史があるだけに興味深いが、値段も高く手が出なかった。ベネチュアガラスといえば「ムラーノ島」である。ここにも写真スポットが多い。
時間があったのでリド島まで行ってみた。この島は広くてバスが通っていたが、あまり見るべきものはなかった。風邪をひいたのか、のどの奥が化膿(かのう)して白くなって、痛みがひどかったが、リド島の薬局で買い求めた、喉の奥の患部まで噴射できる抗生剤入り薬で助かった。当時の日本では、一般薬で抗生剤入りのものが売られていなかった。
旅行した都市などが映画やドラマに出てくると嬉しいものだが、ベニスには特別な感情が湧いてくる。多くの人に「もう一度行くとすれば、どこに行きたいですか?」と問われると、躊躇(ちゅうちょ)なく「ベニス」と答えている。
最後にとっておきの「ゴンドラ」の話。ベニスとゴンドラは切り離すことができない。ゴンドラに揺られ、船頭さんが唄(うた)うカンツォーネを聞きながら運河をゆらりゆらり。至福のひとときであった。