書きたいことがいっぱいあって、この項がなかなか進まない。
時系列的にやや前後しながら書いているが、少し追いついて、ジャパンクラブ
会長になった頃に戻ろうと思う。
ジャパンクラブについては、あまり書くことはない。以前にも書いたが、内輪もめに
振り回された嫌な経験が山ほどあり、とても快適だったとは言えないからだが、
少なくとも、大いに改善できたと自負している。
その証拠に、メンバー数が一挙に増えたことだ。外国で住む日本人たちの
癒しの場としての日本クラブのあり方を示すことが出来たのではないだろうか。
パースと言う街はとても美しい街である。人口は当時で120万人ぐらい。
日本人は留学生やワーキングホリデーの人たちを入れて5000人程度だと
総領事館では言っていたが、実感としては1000人ぐらいの感じがする。
なぜならば、とても小さな日本人村感覚だったからだ。
パースの居住地域は広い。東京都と神奈川県を足したほどの広さのあるエリア
であるから、しょっちゅう顔を突き合わせるわけではない。広い地域に点在して
住んでいるようなものなのだが、勝手なうわさが面白おかしく広がるという点に
於いては「日本人村」と言えるのではないだろうか。
そんなことは日本人だけかと思ったら、そうではないらしい。他の国の人たち
の間においても同じようなことがあるようだし。アメリカのドイツ系の人たちも
同じようなことを嘆いていたものだ。
人間と言うものは、さびしがり屋であり、群れを作って生きていたいのだろう。
離れて暮らしていても、噂話に花を咲かせることで、群れ感覚でつながって
いたいという弱さがあるのだと思う。
それでも、うわさになると言うのは、悪いことばかりではないと私は思っている。
人と言うのは、悪く言われたと文句を言う人が多いが、よく言われた時には文句は
言わないものだ。誤解も同じで、悪い誤解もあるが、よい誤解もある。
私などは、『中原さんは金持ちらしい』と言われていたそうで、貧乏らしいと言われる
より随分得したような気分である。
噂に上がるということは、期待されているという裏返しだと思えば良いのだ。
あとは、期待に添えるかどうかの問題だと思う。