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身体障害者への思いやり
当時、この校舎には下肢に重い障害を持つ生徒が二人いました。
この二人の入学に際しては、連携校の職員組合が反対したという
いきさつがありました。重い障害者を入学させることで発生する
かもしれないトラブルを危惧してのことだと思います。
私も、身体に障害を持つこの二人の入学に際して、心配なことが一つ
だけあったのです。古いビルを改装したこの校舎は、階段が狭かった
のです。幅が一・八メートルほどあればいいのですが1・2メートル
しかなく、階段を上下するためにすれ違う時注意しなければなりません。
重い身体障者を持つ生徒がゆっくり階段を昇り降りしている時、他の
生徒が、乱暴に走って昇り降りして少しでもぶつかると、この生徒が
階段から転げ落ちてしまわないかという心配がありました。若くて元
気にあふれている生徒は、いつも走るように階段を昇り降りしています。
しかし、私の心配をよそに、障害を持つ彼ら二人が卒業するまでの四
年間、このようなことは一度も起こらなかったのです。なぜなら、彼ら
が階段を昇り降りしている時は、他の生徒はどんなに急いでいる時でも、
彼らのためにゆっくり昇り降りしたり、譲ったりしていたからです。
どんなにやんちゃな生徒にも、障害を持つ生徒への思いやりがあるよ
うでした。現在も、この時の生徒より重い身体障害のある生徒が数名
おりますが、やはり、他の生徒たちの思いやりに守られています。
このように、身体の障害が明らかな生徒に対しては心優しい生徒た
ちも、心のどこかに障害を持っている生徒に対しては、その優しさが
見られないのです。目に見えない障害を理解できるほど彼らに余裕が
ないのかもしれません。特に、いくらか奇行癖のある「心の障害児」
に対しては、同じ学校で学びたくないという思いが態度に出てしま
います。さまざまな子どもを抱えこんで教育していこうとする私の
理念は、いつもこのことで悩まされました。