パラリンピックが始まりました。
昨夜の開会式も見ました。
ロックバンドの布袋さんよりも、片翼の飛行機形の車椅子の少女にずっと見とれていました。
今日からアスリートたちは、これまで鍛えた力を思う存分発揮していることでしょう。
今夜のハイライト番組を楽しむことにします。
ところで、、、これだけは是非知って頂きたいのですが、なぜ小池都知事が小学生たちにパラリンピックを見せたいのかということを考えています。
私が14年間生活したオーストラリアでは、障害のある人が、プールのクラブに来ても、健常者と全く同じように扱われます。
他の競技のクラブでも同じです。英国でも、ニュージランド、カナダでも同じでしょうし、アメリカなども同じだろうと思われます。
ところが、日本では分けて考えられています。
障害者が水泳教室に、なんの隔てもなく受け入れられていません。
他の競技クラブでもそうなのです。
子供の時から、障害のある人も、同じように受け入れている社会では、自然と分け隔てが起こりません。
日本のように、分けているからこそ、差別が生まれるのです。日本の教育制度、社会制度が後進的なのです。
小池都知事はは、それを熟知しているからこそ、このこ機会にアピールして改革したかったのではないかと思っています。
以前にも書きましたが、私は若い頃から障害者と親しくして来ました。
高校を創設した時に、神戸の高匠中学(校長自ら名門と言っています)の生徒の親から相談がありました。
体が不自由なので、高校進学は諦めて養護学校ヘ進むようにと言われていますが、この学校に入れていただけませんかと言う相談でした。
なぜ高校進学は駄目なのかと聞くと、エレベーターもなく、彼のために特別な施設を作ることもできないからというのが理由だと言う事でした。
私は、この学校にもエレベーターはないが、君が階段を登れるというのなら受け入れると言いました。
入学一ヶ月も過ぎた頃、彼の周辺にサポート隊ができ、駅から当時の須磨校舎まで彼のカバンを持ち、
階段を上がるときも支えていました。
それを見聞きしていた町内会長から、あなたのそば学校はいい教育をしていますねと褒められたが、
自然発生的に彼の周辺に生まれたものでした。
彼は、卒業後、京都コンピュータ学校の進みました。
私の誇りでもある卒業生の方一人です。