中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(129)

(129)
大荒れの新校舎の説明会
 
新しい建築現場の近くの公民館で、学校建築のための説明会が
開かれることになりました。普通は建築主が参加するのでしょ
うが、学校が使用するということで、学校側と建築会社が出席
することになりました。このことを保護者会に伝えますと、同
席して下さることになり、副会長二人が参加されたのです。
説明会は冒頭から荒れました。それは、私や加藤さんが予想して
いた程度のものではなく、激しく、荒っぽいものになったのです。
「そんな学校は、山の上でやれ!」
「一切迷惑はかけないという誓約ができるか」
これ以上は書けない罵詈讒謗で終始したのです。それは説明会
ではなく、粉砕決起集会の様相をなしていました、その後も数
回にわたって説明会を持ちましたが、話し合いが行われるとい
う民主的雰囲気はまったくなく、粉砕決起集会の様相はますま
す活気を帯びるようになってきたのです。
後で分かったことですが、第一回目の説明会の直前に、「精神異
常者の学校ができるので反対してください」という回覧板が町内
会に回され、全員反対署名したうえ、神戸市の建築確認が出ない
よう陳情書を提出していたそうです。
そのうえ、各政党の議員に陳情したり、各新聞社に投書したりと
いう反対運動が繰り広げられました。
もちろん、そのために動いた議員は一人もいなかったし、新聞社
からは投書があった旨のご連絡はいただきましたが、それ以上の
動きはありません。
このような反対運動が、新校舎建築後も繰り広げられたのです。
しかし、「反対」をリードする人たちのなかの「精神異常者の学校」
という誤まった認識や過激な言動が、この学校を正しく認識し、
協力しようという方々を帰って多くしていきました。
初めの「精神異常者の学校」という言葉が強烈だったために、生徒
たちを色メガネで見る人たちがまったくなくなったわけではありま
せん。しかし、多くの人たちが生徒たちのために理解を示して下さ
るようになってきたのです。現在では、当時反対しておられた人
たちも、「三年生ぐらいになるとすっかり変わって、みんなよく
なるけれど、毎年新しい生徒が入って来るからなぁ」
と言って下さるまでになってきました。
新しく入学してくる生徒は、どうしても近所にご迷惑をかけてし
まいます。ふつう生徒たちは、小学校へ入学してから中学校を卒
業するまでの九年間、フェンスや校門に仕切られ、登校してから
下校するまでの間、学校から一度も出られないという生活を送っ
ています。私の学校ではフェンスも校門もなく、そのうえ、休み
時間ごとに校外へ出ることが許されます。そのことだけでも、生
徒たちは思いきり自由になったと思うのでしょう。近隣の探索や
散策を楽しんでいます。この学園生活を終えたら、彼らは他の高
校生にはない学校周辺への愛着を、いつまでも持つことでしょう。
生徒は登校してから下校するまで、学校から一歩も出ないものと
考えている人たちが多いわけですから、自由に出入りを許してい
る学校の方針に不満を持つ住民もいます。しかし、問題行動を起
こす生徒は多くはないのです。ごく一部の生徒たちであり、一年
生と二年生の前半までの生徒に限られます。特に問題行動を起こ
さなくても、集団でブラブラしていることが目障りなので、一部
の人たちからは「いけない行動」と見られるのです。
私は、高校生である彼らに、強制されないで自由に行動して欲し
いし、行動には責任を持ってほしいと思っています。他の高校生
に比べて、学習が遅れ、精神の発達も遅れている生徒たちに自由
を与えすぎではないかという議論も一部にあるでしょう。しかし、
学校の枠にはめられ、正しい子育てについて学んだことのない親
たちにまでがんじがらめにされて育った子どもたちは、自主性を
持たない人間になってしまうでしょう。私の学校の方針を理解し、
家庭でも同じような方針に切り替えた場合には、生徒たちは、自分
の行動に責任を持った自主的な人間に育っていきます。
自由とは、何をしてもよいという「勝手気まま」ということでは
なく、校則の「他人の権利を侵さない」という枠のなかでの自由、
つまり、リバティーであることを、日常の生活指導で繰り返し,
繰り返し話していくうちに、生徒の心の奥深くで、自由の意味が
理解されていくように思います。
校則の“May I Help You?”(私がお役に立てることはありませんか)
は、他人にたいし「思いやり」を持ってほしいということであり、
校則「他人の権利を侵さない」も、「他人への思いやり」を育てる
ことだと私は思っています。