中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(139)校門へ入れてもらえない生徒

(139)校門へ入れてもらえない生徒
 
平成二年、私の住む神戸市の高校で校門圧死事件が起こりました。
事件の詳細はご存知でしょうから改めてここに書きませんが、一口
に言って、教師の傲慢さと管理主義の結果だと思います。
もっとはっきり言えば、神戸暁星学園では絶対に起こらない事件
です。私の学校で最も力量に問題のある教師でも、あのような、また
はあの事件に類似するような事件は起こさないだろうと思います。
しかし、このように私たちの教師について断言できるのも、今だから
だと思います。私の学校にも問題の教師はいたのですが、このことに
ついては次の項でお話いたします。
さて私の学校には中学生の頃、校門の中に入れてもらえなかった生徒
が毎年何名か入学してきます。
学校へ行きたくないという不登校ではないのです。彼らは毎日のよう
に登校していました。しかし、校門から中へは入れてもらえなかった
のです。ある生徒に聞いたところ、彼の友人数名も同じ扱いを受けて
いたということでした。
彼らは制服を着用せず、変形ズボンをはいたり、頭髪も決められた通
りでなかったために、校門で締め出されてしまったのだそうです。
ひどいケースだと、中学一年生の二学期から卒業するまで、まったく
校内に入れてもらえなかったそうです。同じ扱いを受けている生徒の
親たち数人が学校と何度も話し合いを持とうとしたけれど、受け付け
てもらえなかったと涙ながらに話していました。
卒業式の日は、校門の外の道路上で、彼らに卒業証書が手渡された
そうです。
もちろん、彼らの入学願書提出にあたって、内申書にはそのようなこ
とが書かれているわけではありません。成績の欄がオール一になって
いるだけなのです。欠席扱いにもなっていないので、不登校という判
断にもなりません。
どうしてこんなことが起こるのでしょうか。私は読者のみなさんに、
もっと目を明けて周囲をよく見ていただきたいのです。校門に入れて
もらえないのは特別の例としても、それに近い状態に置かれている子
どもはたくさんいるからです。校門から占め出した学校や先生だけを
責めるのではなく、私たち大人の一人一人が深く考えなければならな
い問題だと思うからです。
もし、あなたがそのような学校や先生を責めるだけで、あなた自身が
何も行動に移さないのならば、あなたも同罪です。少なくとも、問題
子どもがなぜいるのだろうか、どうすれば防げるのだろうか、問題
の子どもになったあとではどのように対処すればいいのかを考えてみ
てほしいのです。これは大人としての責務だと思います。子どもに責
任がないのに、大人の無知、身勝手のために「問題の子ども」たちが
差別されています。「問題の子ども」がいるのではなく、「問題の
大人」がたくさんいるのです。
問題の家庭問題の子どもは問題の家庭から生まれる、と言われます。
このことはA・S・ニイルも書いておりますので、どこの国でも、いつ
の時代にも言えることかも知れません。
問題の家庭というのは、親が離婚したとか、酒ぐせが悪いなどといった
ことだけを言っているわけではありません。子どもの扱いを知らない、
子どもに過剰な期待をかけすぎる、親が自立できていないで気まます
ぎる。子離れができていない、子どもを信じていない、親の価値観に
問題があるが親自身はそれに気づいていないといった場合に、問題の
家庭になっていくケースが多いのではないでしょうか。
親が未熟でも、子どものほうが親離れをして立派に成長していってい
る場合には、問題は起こりません。しかし、この場合は、親の子育て
がうまかったのではなく、子どもがすばらしかったのですから、子ど
もに感謝しなくてはいけないでしょう。
けれども、L・D(子育ての難しいタイプ)の子どもを持った親は、
人一倍子育てのことについて勉強してもらわなければならないのです。
このことは、他の障害も含めて言えることだと思います。そう言えば、
この世にまったく障害のない人などいるのでしょうか。そのことを考え、
私の言う障害という言葉に過敏にならないで下さい。