中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(138)問題児はいるか

(138)問題の子どもたち
 
私の学校にはたくさんの「問題児」と言われる生徒がおります。
広い意味では、全員が問題児と言っていいでしょう。
すでに書きましたように、在校生のすべてが「学習不振」という問
題を持っていますし、身体障害、情緒障害、学習障害というように
分類すれば、ほとんどの生徒がこのなかに入ります。しかし、障害
という用語が問題でもあります。
親や本人は、「障害」などというと強い拒否反応をいたします。
しかし、別のところでも触れましたように、私自身は、のちに病
名が分かるのですが、小学生のころから右耳に「真珠種」という
病気を持っており、難聴と臭い耳だれに悩まされていました。
それが原因だったかどうかは分かりませんが、「起立性調節障害
という身体障害であった可能性があります。
実は私の学校へ入学してくるやんちゃたちは、すべてL・Dが原因
ではないかと思うことがありますが、ここでは、俗に「問題の子ども」
と言われる子どもたちについて、やんちゃ=不良・非行と思われて
いる子どもについて、触れたいと思います。L・Dのなかのやん
ちゃ編だと思って読んで下さってもいいかと思います。
 小学生、中学生という義務教育の場にいるはずの子どもが、情緒障
害児施設などに預けられるというケースがあります。不登校とか、家庭
内暴力とか喫煙などのために、そのような施設に入れられるのです。
そして、そこでは教育の名を借りたシゴキ、虐待がしばしば行われ
ます。暴力で矯正することも教育だと認める人たちがいるわけです。
しかし、その施設の教師による暴力で子どもが、傷つけられるとか、
死に至らしめられることがある場合には、それにかかわった親、教師、
校長、教育委員会などの人たちの連帯責任ではないかと思います。
なぜ簡単に子どもを裁くのか、私には分かりません。小さい頃から叱
られ続け、裁かれ続けた子どもは、親や教師を信じなくなります。
また成長の遅い子どもは十五歳になっても、場合によっては十八歳に
なっても、精神的にはまだ十歳前後のところにいることが多いのです。
身体は一人前に大きくても、判断力がともなっていないのです。
しかし、学習不振の子も、精神的に幼かった子も、いつかきっと成長
するのです。そのことを私は信じています。だから神戸暁星学園の生
徒たちは立派になっていくのです。
子どもを信じないで、どうして子どもが育つでしょうか。私はこの
ことを強調したいので何度も書きますが、悪いことをする子どもは
いないのです。悪いことをしているのは、大人なのです。「問題の
ある子ども」は一人もいない。そのように考えるのは、大人の側に
問題があるのだと私は書きました。「問題のある子ども」はいない
けれども、「問題のある教師」はかなりおります。けれども、それ
は教師全部でもなく、大多数でもありません。ほんとはごく少数か
もしれません。しかし、少数だからといって放っておけない問題
なのです。