中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(101)私を守ってくれたのはだれなのか

    《学習不振と、育てにくいタイプの子ども》

 学校が嫌いでも、勉強のできる生徒は、教師や友人から認められている部分があるので、内に不満を募らせてはいても、表面上は穏やかにしておくことができる。 しかし、小学校三、四年生頃から勉強が遅れ始める子ども多く、通知表の成績を気にしながらも、父親の 「小学生の成績だ、そんなに気にしなくてもいい」 という一言に「そんなもんかなぁ」とお母さんが思っている間に、その子はどんどん学習が遅れていってしまい深刻な学習不振児になってしまうことが多いものだ。

新聞に、自信がなくなったからと辞職していく先生や、自殺した先生の記事が出ることが多くなったが、中学校の先生の自信を失わせ、追いつめてしまう生徒は、ほとんどが小学校三、四年生からの学習不振児である場合が多いのだ。

学習不振児と書いたが、学習が遅れている原因は多様であって、ひと口では言えない。

病弱で学校を休むことが多くて学習が遅れている場合や、自閉症などの情緒障害が原因で学習が遅れている場合、精神遅滞があって学習が遅れている場合、脳に顕著な異常があっての低能力児の場合など、さまざまな原因があって学習が遅れるのです。

 はっきりした原因が分からないのに学習が遅れる生徒がいる。例えば起立性調節障害などだ。このような場合が、最も親や先生を困惑させる。はっきりした原因もなく、能力も高いのに勉強ができないというか、学習が困難で遅れてしまう子供たちでのことなのだ。

しかし、学習不振児で最も多いのは L・D(学習障害)だと思う。このタイプの子どもは行動面で、いくつかの気になる要素がみとめられる。

これは専門書ではないので、 ほんの少しだけ触れるようにしておこう。

幼児期からの子どもの行動の中で、

(一)落ち着きがなく、じっとしていられず、動き回ることが多かった。

(二)集中力に欠けていて、周りの音や、光や、刺激に反応しやすかった。

(三)一つのもの(乗り物など)に強くこだわり、あるいは一人で黙々と遊ぶことが多かった。

(四)危機予知能力に欠けているのかと思うような(どうしてこんな危ないことをするのだろうと驚くような)行動をすることがあった。

(五)自分勝手な行動が多く、友だちが作りにくかった。

(六)なわとび、跳び箱、鉄棒などが不得手である。

(七)作文の能力が同年の子どもに比べて不得手。

(八)よくできる教科と、できない教科の差がはげしい。

(九)計算能力はあるが、文章問題は苦手。

(十)歩き始めが標準の子供より遅かった、話し始めるのが遅かった。

(十一)左右の概念や数の概念が遅れている。

こうした行動のうち、思い当たることがいくつかある生徒に、学習の遅れが目立つ。

私は、もう一つ 「善悪の概念が弱い」を入れてもいいかと思っている。もっと細かく分類して書くと分かりやすいでしょうが、ここではこれぐらいにしておくことにしよう。

この子どもたちに共通した問題は「育てにくい」ということなのだ。幼児期以降、いくつかの気になる行動が現れることがあっても、このような行動は、年齢と共に消えていくといわれている。そして、その人の個性として昇華していく場合が多いのだ。

私の独断で叱られそうですが 、『窓ぎわのトットちゃん』 の黒柳徹子さんもこの「育てにくいタイプに 該当するのではないかと思っていた。小学校一年生の時、授業よりも窓の外のチンドン屋の音の方が気 になって小学校を退学になったことなどは、このタイプだからではないかと思っていたが、最近では、ご本人もそれを認めている。素敵な個性として、昇華した一人だった。

トットちゃんはトモエ学園という素晴らしい学校との出会いがあったからいいが、もし、トモエ学園との出会いがなければ、あのすばらしい個性が、個性となる前にゆがめられていたのではないかと思うのだ。

この、いわゆる「育てにくい」タイプの子どもは、親に叱られやすい子ともいえる。兄弟、姉妹と違うところが多く、絶えず比較されては叱られるということを繰り返す中でゆがめられてしまう。

学校においても、その多動さゆえに叱られたり、子どもによっては鈍い行動のためにうとまれたりする。授業に集中することが苦手なために叱られ、勉強ができなくなっていく。授業に集中しないとついていけなくなる小学校三、四年生頃から、教科に遅れが目だってくるようになります。この頃、親が的確な対応をすれば救いの道はあるのだが、多くの親は塾と学校にすべてを任せてしまうのだ。

学習はますます遅れ、遅れているから面白くなく、授業中の多動が増え、先生に厳しく注意されることがおおくなる。授業中の四十五分が苦痛の四十五分と化し、ストレスがたまり、いじめ、暴力行為などに移っていく生徒が出てくる。中学校に入る頃には、得意だったいくつかの教科にまで遅れが目立つようになり、自我の目覚めとともに反教師的行動が起こるようになる。

そして、親が学校に呼ばれ、場合によっては親と学校との間までギクシャクしてしまうのだった。 このタイプの子は、男子の場合、生徒数の数%前後現れ、女子の場合はその数分の一しか現れないと報告されている。このタイプの生徒に管理を強めすぎた教育をした場合、自分に注意ばかりする大人たちを嫌うようになり、大人になりたくないという「ピーターパン・シンドローム」を持った子どもになったり、暴力的な子どもになったりすることもすくなくありません。

トットチャンは、理解のある母に恵まれ、トモエ学園という素敵な学校で、素晴らしい校長と出会い、才能が開花したのだろう。

    《子どもに責任はない》

 繰り返して言いますが、このタイプの子どもの場合、私は子どもに何の責任もないと考えている。しかし、病気などの原因がなく、その行動が親や教師に叱られやすいタイプであるために、裁かれたり、比較されたりしている間に、二次的、三次的に子どもの性格をゆがめてしまうものなのだ。

そのようなことに理解のある親や先生にめぐりあった生徒の場合は、問題もなく育つことができるだろう。 また、このタイプの子どもであるからといって、何も心配することはなく、親が理解を深めることで、子供は育っていく。

親や先生が「ふびんな子」と思って、過保護に育ててしまうことが多いようにも思う。