中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(96)私を守ってくれたのはだれなのか

        《過激だった新校舎の説明会 》

新しい建築現場の近くの公民館で、学校建築のための説明会が開かれた。普通は建築主が参加するのだろうが、学校として使用するということで、学校側と建築会社が出席することにった。

このことを保護者会に伝えると、同席して下さることになり、副会長二人も参加した。説明会は冒頭から大荒れだった。 それは、私や加藤さんが予想していた程度のものではなく、激しく、荒っぽいものになった。 説明を聞くという姿勢ではなく、なにがなんでも反対するぞという一部の人たちがいたようだ。

  『そんな学校は、山の上でやれ! 街の中でやる学校じゃないぞ』

『一切迷惑はかけないという誓約ができるか、できないだろう、だったら作るな‼』

これ以上は書けないほどの罵詈雑言で終始したのだった。 

それは説明会という雰囲気ではなく ≪粉砕決起集会≫ の様相をていしていた。

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その後も数回にわたって説明会を持ったが、話し合いが行われる民主的雰囲気はまったくなく、なんとしても認めない、粉砕決起集会の様相はますます活気を帯びるようになっていったのだった。

後で分かったのだが、第一回目の説明会の直前に 「精神異常者の学校ができるので反対してください」 という回覧板が町内会に回され、全員反対署名したうえ、神戸市の建築確認が出ないよう陳情書を提出していたということだった。一部の人たちの誤解から始まったのか、悪質な妨害者がいての策動だろうと思える。

そのうえ、各政党の議員に陳情したり、 各新聞社に投書したりという反対運動が繰り広げられたのだから彼らの反対行動は穏やかではない。

当然のことだが、そのような抗議に乗せられて動いた議員は一人もいなかった。新聞社からは反対者からの投書があったが、記事にはしないという連絡をもらっていた。

このような悪質な反対運動が、新校舎建築後も引きつづき繰り広げられたのだった。

 しかし「反対」をリードする人たちのなかの 「精神異常者の学校」 という誤った認識や過激な言動が、この学校を正しく認識し、協力しようという方々を反って多くしていったのだった。

 初めの「精神異常者の学校」という言葉が強烈だったために、生徒たちを色メガネで見る人たちがまったくなくなったわけではないが、多くの人たちが生徒たちのために理解を示してくれるようになってきたのだった。当時は猛反対だった人たちも、その後の生徒たちを見ていて考え方が大きく変わったのだった。

『三年生ぐらいになるとすっかり変わって、みんなよくなるけれど、毎年新しい生徒が入って来るからなぁ、しゃあないな』

と言って、生徒が次第に成長するのを見守ってくれるようになったのだった。

新しく入学してくる生徒は幼くて、どうしても近所に迷惑をかけてしまうが、日に日に成長していく。

小学校へ入学してから中学校を卒業するまでの九年間、フェンスや校門に仕切られ、登校してから下校するまでの間、 学校から一度も出られないという生活を送っていたが、急に解放された環境になって、のびのびし過ぎるのだ。

この学校ではフェンスも校門もなく、生徒たちは思いきり自由になったと思うのだろう。近隣の探索や散策を楽しんでいるのだと、本人は思っていても、近隣の人たちには目障りなのだろう。

生徒は登校してから下校するまで、学校から一歩も出ないものと考えている人たちが多いわけだから、自由に出入りを許している学校の方針に不満を持つ住民もいる。

しかし、問題行動を起こす生徒はごく一部の生徒たちであり、一年生の一学期の終わりまでが特に多い。

問題行動を起こさなくても、集団でブラブラしていることが目障りなので、一部の人たちからは 「いけない行動」 と見られるのだった。

    子どもの行動に制限を設けて自由を許さない大人たちが多いのではないだろうか。

私は、高校生である彼らに、強制されないで自由に行動して欲しいし、行動には責任を持ってほしいと考えている。他の高校生に比べて、学習が遅れ、精神の発達も遅れている生徒たちに自由を与えすぎではないかという議論も一部にあるだろう。しかし、学校の枠にはめられ、正しい子育てについて 学んだことのない親たちにまでがんじがらめにされて育った子どもたちは、自主性を持たない人間になってしまうだろう。

   この学校の教育方針を理解し、家庭でも同じような方針に切り替えた場合には、生徒たちは、自分の行動に責任を持った自主的な人間に育っていくのだった。

自由とは、何をしてもよいという 「勝手気まま」ということではなく、校則の「他人の権利を侵さない」という枠のなかでの自由、つまり、リバティーであることを、日常の生活指導で繰り返し、繰り返し話していくうちに、生徒の心の奥深くで、自由の意味が理解されていくように思うのだ。

校則の「メイアイ・ヘルプ・ユー」の意味は、  ((( 私がお役に立てることはありませんかということであり、他人にたいする「思いやり」を持ってほしいということなのだ。

アメリカへ向かう飛行機の中で、飛行機酔いでフラフラの一人旅の少年が、隣席のお年寄りに「メイアイ・ヘルプ・ユー」となんども声掛けしているのを見た時、これを学校の理念にしようと決心したのだ。

校則の「他人の権利を侵さない」も「他人への思いやり」を育てることだと私は思っているのだが。