中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(72)私を守ってくれたのはだれなのか

       《ビルとの契約を済ませて》

 生徒募集には、9月あたりに各中学校へ「学校案内」を配布し、学校説明会も開かねばならないのに、何の準備もできていなかった。ビルを借りる契約をしたのが11月だったのだ。

 やっと、「学校案内」が出来たのが翌年の1月だった。神戸市内の全中学校、西は明石市から姫路まで東は尼崎までの全中学校への宛名書きだけでも結構大変だった。神戸市だけでも70校ほどあった。

 学校案内を送っても、何の反応もない。そりゃそうだろう。ほとんどの生徒たちは、すでに目的に学校の受験を目指しているのに、訳の分からない学校に入ろうと思う生徒がいるはずはない。

 どうすればいいのかと、思案したが、まずは中学校に対して、この学校のことをよく知ってもらうことだと考えた。そうは思っても、方法がむつかしい。

 青山氏が県会議員の杉田(その後衆議院議員になった)さんと懇意だと聞いていたので、杉田先生に紹介していただきたいとお願いした。杉田さんは教職出身だから知恵を授けてくださるのではないかとおもったからだった。さっそく紹介してくださった。杉田さんとは、翌日にお会いして、事情をはなすと、話を聞くやいなや

『それは素晴らしいことだ、ぜひとも成功させてください。これから私と一緒に行きましょう』と、わたしを車に乗せ、当時の神戸市中学校校長会会長の鷹匠中学校長の前垣先生のところに連れて行ってくださったのでした。

 前垣先生は

『生徒募集は、今の時期では、あまりにも遅すぎますね。2月といったら、もうみんな進路が決まって いるのですよ。そのうえ、名前も知らない学校じゃ、学校側も生徒を送ってくれないでしょう。 近いうちに中学校の校長会があるので、その席上あなたを紹介しますから、あなたから学校の説明をしてください。時間を15分ほどあげますから』 といって下さったのです。

また、校長候補を推薦してほしいという私の依頼には

 

『今年、中学校の校長を定年で辞める人たちは、ほとんど就職先が決まっていますからね、もう少し早 ければ、一人二人決まっていなかった人がいたのだけどね。いい人が一人いるのだけど、腰が悪いので しばらく治療に専念したいと言っていたし・・・あたってみますか?』

紹介された方を訪ね学校の説明をしてご協力をおねがいしましたが、しばらくは治療に専念したいのでと固辞されました。しかし、前年度に校長を定年で辞め、いまは信託銀行に身を置いている高田先生を訪ねてみなさいと紹介されました。

      <神戸市の公立中学校校長会の席上で>

 校長会が開かれ、そこに出席して、来春開校の準備をしている学校についての説明をいたしました。一五分間を有効に使ってどのように説明するかがとても重要でした。

 なぜならば、神戸市に当時あったのは全日制高校と、定時制高校だけで、通信制でありながら、まいにち通学するような学校はなく、本当に高校卒業資格が得られるのかという点が最も大きな問題点でした。

 わずか2ページの「学校案内」では読みごたえもないだろうが、このような新しいタイプの学校が設立されることに重点を置いて説明した。

70人近い中学校の校長が私の目の前にいる。その人たちに不信感を持たれては、この先が心配だ。

 その後も感じたことだが、中学校の先生と話すときにいつも気を付けなければならないことがあった。なぜならば、ある意味において対抗する立場なのだ。中学校としては、立場上仕方なく生徒に点数をつけなければならない。当時の神戸市のように、学区毎に上位の高校から下位の高校までランクを付け、そのランクごとに受験生を割り当てるのだが、小学校当時から、出遅れた生徒たちは教師の側にとっては扱いにくい生徒であり、クラスメートにとっても面倒な子供が多い。 私は、扱いにくいと言われる彼らの側に立って物事を考えるので、私の主張をすれば公教育を否定することになってしまいかねない。

 多くの生徒を預かっている中学校としては、それなりに全力を尽くしているはずなので、うかつに批判はできないというジレンマがある。 高校への入学率は文部省が決めているのであって、中学校としては全員進学させてやりたいに違いない。だから、切り捨てられた生徒たちを救うなどとは言えないのだ。

 社会では「おちこぼれ」と言われるが、私の考え方の中には「落ちこぼされ」た、生徒たちだという意識があるが、落ちこぼしたのが中学校と言えば、中学校批判になってしまう。

 大切なことは、文部省が決めている93%という数字だ。

だれが、94番目で、どの生徒が95番目なのか、それをだれが決めるのかということを問いたいのだ。行き場をなくした子供たちに対してどのような対策が取られているのかという問題である。行き場をなくせば非行に走る子供だって出てくるだろう。

彼らを救済しないで放置すると、毎年十数万人以上の子供を非行に走らせるかもしれない。

 そういうことまで踏み込んだ話は校長会ではできない。敵に回すようなものだからである。

 最も質問が多かったのは

『お説ごもっともという感じがしますが、一つ質問しましょう。あなたが言う所の落ちこぼれた生徒たちのことはよく理解しています。しかし、あなたは、そのような生徒ばかりを集めて学校を作ろうとなさっている。そういう生徒ばかり集めて、果たして教育ができるのですかと、お聞きしたい』

 多くの校長たちが、この質問に大きくうなずいた。だれもが同じことを考えていたのだと思う。この質問に対して

『私は、自信をもってこのような生徒たちばかりを集めて、教育ができると断言はできません。しかし、一教室を二五名程度にし、教師を多くし手厚い交わりを持つことで、彼らと人間同士の対等の交わりを持つことで解決したいと思っています』と言って結んだ。 校長会という公の場で学校説明ができたことは、大きな一歩前進だった。