中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(95)私を守ってくれたのはだれなのか

     《兵庫校舎への歩み》

三つ目の兵庫校舎が、神仏の助けともおもえる絶妙のタイミングで話が進んでいった。

須磨校舎は、一・、二期生で埋まっており、来春入学してくる生徒を収容するスペースがない。 二学期に入った九月には、すでに「学校案内」ができていなければならないのだが、前年と同様に次の年の計画が決まらないので、募集要項すらできていなかったのだ。

次の年のことは、春から、いやそれ以前から考えていたのだが、毎日が校務で忙しく、息の抜く間のない状態であり、具体的な動きはまったくできてていなかったのだった。

私の日々は生徒の問題行動に対する対応と、教師へのさまざまな支援で、言葉にできないほど多様であり、多忙で、とくに精神的にリラックスできる時間がほとんどない状態だった。

何もかも一人で背負っている重荷がのしかかっていた。年末年始でさえ、ほとんど休みなしだった。大好きなゴルフにも行く暇がない。 夜も、酒席に出ていては明日の大切なことを考える時間がなくなるので、ほとんど行かない。

生徒指導を任せられる教師は少なく、問題が起こればすべて私に持ち込んでくるので、それらの対応に追われていた。毎日を生徒指導問題にかかわっていて、来春に備えての具体的な動きがとれなかった。

 一つには、これ以上借入金を増やすべきかどうかという問題があったのは言うまでもない。借り入れられる限度をはるかに超えた借金があって、これ以上の拡大は危険でもあり、これ以上の借り入れが可能かどうかも、まったく分からない状況だった。

毎日、困難な問題が発生しているなかでも生徒を守るために、教師を鍛えなければならない。 このままでは、来春は五十名ほどの生徒しか受け入れられないし、その次の年は、受け入れが不可能になってしまう危惧があった。

山下君という長身の生徒がいた。同じ中学校から来た数名とツッパリごっこをしていた。 素直で、きれいな目をした子だが、ツッパリ組のなかで、彼は一足先に大人になろうとしているようだった。 彼は精神的に成長し始めていて馬鹿なことをすることから離れたいようだった。 しかし、ツッパリ友だちの手前もあって、彼一人が別行動できない状態であったし、気の弱い部分を持っている彼には、単独行動が無理だったのだろうとおもう。

夏休みのアルバイトを一つのきっかけにして、二学期からほとんど登校しなくなっていた。 彼の父親は、保護者会の役員であることもあって、たびたび顔を合わせていた。彼の進路 (退学して、働きたいというのが彼の希望) について、父親と何度も話し合いを持った。

『お父さん、私は、学校の役割ってそんなに大きいものだとは思っていないのです。学校を必要とする生徒にとってはそれなりの役割があるでしょうが、山下君のようにしっかりした考えがある場合には、むしろ、学校という甘えられる場所に置かない方がいいかもしれません。学校には、いつでも戻れますし、受け入れます。 今回は、山下君の希望通りにしてやったらどうでしょうか』 

その後、山下君は学校を退学し、アルバイト先の正社員として採用され、その後も立派な社会人として働いている。 

山下君の父親は息子の進路についての話し合いが終わった後に、こんな話を持ち出してこられた。

 

『先生、来年の校舎、必要なのと違いますか』

『ずっと探しているのですが、見つからなくってね』

山下氏は、かなり大きな建設会社に勤めていたのでした。

『現在、マンションとして賃借する計画をしている建物が二つありますが、今からでも学校に設計変更することができます。息子がお世話になったお礼に、お世話をしたいと思いますがどうでしょう。二つのうち、交通の利便を考えれば、須磨校と同じ道路で結ばれている『大開駅』の近くの物件がいいと思います。 建築主との交渉を私に任せてくれますか』

『私も物件を探していたところなので助かります。ぜひともよろしくお願いします』

『今からだと、来春ぎりぎりに間に合うかどうかのきわどいタイミングですが、可能な限り努力してみましょう』

校舎を賃借するより自前で建てる方が、地価が高騰していくだけ有利なのだが、須磨校舎の倍以上の校舎を自前で建てるということは、不可能に近いことだった。 しかし、賃借の場合でも、かなり多額の敷金を支払わねばならず、新たに多額の借入の都合をつけねばならない。

       《建築主のご家族の協力で》

建築主の加藤さんの自宅におうかがいしたのは、それから十日ほど後のことだった。加藤さんはすでに私の学校のことをいろいろと調べておられたが、改めて詳しい説明を求められ、さまざまな質問が、ご家族の方々からも出された。

『私たちは、ここにマンションを建てようと思っていました。 山下さんから、学校にしたらと話があったので、いろんなことを考えたうえで決断しようと思っています。まず近所のことですよ。 須磨校舎の近所の人からいろいろ聞いてきましたが、悪くいう人、立派な仕事だから協力しているという人、いろいろでした』

『ご近所には迷惑をかけています。しかし、最近はよくやっていると激励して下さる方が増

えてきました』

『そのようにも聞いています。私たちも、ここにマンションを建てた場合、どんな人が入居するか分からないので不安なのです。 入居したが最後、他人の生活に口出しできませんでしょう。 二十四時間生活するわけだし、万一、組関係の方にでも入居されたらもっと困ることになると思います。 心配しだしたらキリがないのですわ』

『そうですね。建てたら終わりというわけじゃないのですよね』

『そりゃ……、いろいろ考えますよ。 今、駐車場に貸してますでしょ。 マンションにしたら、

全部出てもらわなきゃならないしね。 あっちにも、こっちにも気をつかいます』

「……」

『学校のこともいろいろ調べました。学校だったら、朝八時半頃から夕方の四時ごろまででしょう。それに、夏休みやら何やらで、年のうち九ヵ月だけでしょう。そう考えたら、マンションにしていつも心配しているより、学校だけの方がいいのと違うかって、家族で話し合っていたのですよ』

『ぜひ、お願いします。来年、中学校を卒業して行き場がなくなる生徒がいるかと思うと、 しんどいけれども、彼らのために受け入れる場所を作っておいてやりたいのです。ぜひ、お願いします』

『さっきから学校の説明をいろいろ聞かされてもらって、損得なんかより、何とか世の中の役に立つのだったら、学校に使ってもらおうと思っています。な、そう思うだろう?』

家族の方が顔を見合わせ、うなずいて下さったのだった。

建築を間にあわせるためには、すべてを急がねばならない。加藤さんご一家も、そのことを考慮して結論を出して下さったのだった。