中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(98)私を守ってくれたのはだれなのか

     《名代君のこと》

昭和六十一年は、新しく大きな新校舎を確保でたが、新入生は百名余りにとどめた。 近隣への配慮と、教師の人材が三校舎に分割されるので経験者の数の割合が低くなるために、慎重を期したのだった。  経営上から言うと、この年に二百名の新入生を入れるべきかと思う。経営も楽になり、以後の対策がしやすくなると思うが、経営を優先すると必ず生徒が犠牲になってしまうのがわかっていた。

  詰め過ぎた須磨校舎の生徒を分散させ、兵庫校にも1、2、3年生を収容することにした。そのために、交通の便を考慮して、西方面からの生徒は須磨校を重点的に、東からくる生徒は兵庫校にと、生徒の希望を取り入れながら決めたのだった。

広い校舎を遊ばせながらも、生徒にとってベターな方法を選ぶことにした。

この年は、かなりの猛者が入学してきたので、さまざまな悶着が心配されたが、彼らは最も定着率がよく、四年を経過して卒業した生徒は、入学時の九割以上だった。

そのなかの一人、名代君も、入学時から多くの問題を抱えた生徒だった。教師に対して乱暴な言葉を発し、度重なるケンカをし、弱い生徒をいじめ、授業中に騒ぎ、一通りの問題行動を起こしたのだった。いつ退学処分になっても仕方がないことを繰り返した。

しかし、冷静に見ていると、彼の場合は思春期特有のものであり、家庭とか自分の将来を案じることから心の中に不安が広がり、問題行動へと発展しているように見えた。

彼には注意をし、叱ったりしたこともあったが、それ以上に彼の不安を取り除いてやることに留意し、離れた存在ではなく、いつでも気軽に私に声をかけてこられるように配慮していた。

彼は三年生になってダイエーにアルバイトに行き、現場の責任者に認められるようになってから、学校での態度も大きく変わってきた。

一、二年生の頃とはすっかり様変わりし、落ち着きが出るとともに問題行動も日を追うごとに減っていったのだった。 

親とか教師は、子どもや生徒に絶えず疎まれたり裏切られたりすることはあっても、尊敬、信頼されることは、それほど多くはない。

尊敬され、信頼されることがあるとすれば、子どもが大人になった後とか、生徒が卒業した後の方が多いのではないかと思う。

学校というものは、傲慢にならず、生徒の成長を見守るということが大切だと私は思うのだ。

アルバイトを禁止するのではなく、アルバイトの効用も(社会教育の一環として)学校関係者や親は知っておいたほうがいいのではないかと思っている。

平成元年の夏、第一勧業銀行・神戸山手支店のロビーで、私が神戸ファッション・ソサエティ(K・ F・S)の会長をしていたときの副会長であり、次期会長としてK・F・Sをより発展させてくれた㈱トライワンの社長、柿本氏とばったり出会った。 彼とはしばらく会ってなかったので、場所をファミリーレストランへ移して話をするうち、人材難の話になった。

彼の会社ではこれまで大卒ばかりを採用してきたのだが、最近の大卒はイエスマンが多く、いい意味での若さがないとのことだった。

『どうだい、うちの生徒を採用してくれないか?』

『今まで高卒を採用したこともないし・・・。それに悪いけどあなたの学校は俗にいう落ちこぼれの生徒ばっかりなのだろう・・・?』

『確かに、入学時は全員落ちこぼればかりだった。落ちこぼれたから私の学校へ来たのは事実なんや。 しかし、卒業する頃は違う。世間が落ちこぼれといって馬鹿にする子どもたちがどれほど立派な人間になっていくかを証明したくて、この学校を作ったのや。自主性を持つ人間に育てる教育をしているつもりなんや』と一期生、二期生の活躍ぶりを説明した。

『面接だけでもいいから、彼らと会ってみてくれないか。大卒のイエスマンよりは、ずっと上等な人材がいるから』

『あんたが、それほどまでに言うのなら、会うだけはあってみよう』

名代君に「私の友人の会社を受けてみないか」と呼びかけ、面接に連れて行くことにした。面接は雑談も交え一時間ほどだったが、私の期待に背くことなく名代君は立派にふるまい、柿本社長も大変気に入ったようだった。名代君は、平成二年四月、㈱トライワンに入社した。

それからずいぶん経って、柿本社長と彼の父である会長の名代君に対する評価は、

《入社した日から毎日十一時過ぎまでの残業を嫌な顔一つせずにやっている。仕事を指示しなくても自分から仕事を探してでもやるタイプだ。よく働くだけでなく、いろんなことをよく勉強している。感心するほどだ。これほどの人材はそんなにはいない。わが社でも彼の将来を大いに期待している。ぜひ、彼のような人材を今年もほしいと思っている》 というものだった。

指示に従うだけでなく、指示がなくても働ける、学校を卒業してから積極的に勉強する、規則などは当然のこととして守れる人に彼は育っていたのだった。

私の考えている理想的な方向に、彼は成長しているように思っている。これからのさまざまな試練や挫折を乗り越えることによって、彼の将来はますます大きく広がっていくこだろうと思う。

その後、名代君は㈱トライワンを退社した。しかし、新しい職場でも頑張っているということだ。名代君が頑張ってくれたお陰で、その後に岡田君が同社に就職できることになった。そして、次の年も一名の求人をいただくことが出来た。