若い人たちに「人生の目的を持て」とか「持っているか」などと
聴く人が多い。
しかし、自分の若い時のことを考えると、目的を持っていたのかどうかも
思いだせない。
たぶん、目的どころか、その日をどう過ごすかだけで精いっぱいだった
様に思う。その日をどこで眠れるか・・これが一番の難題だった。
住み込みで働くにしても、保証人がいなければ働かせてもらえない。
夜眠る場所を確保できていない辛さは経験者でないと分からないだろう。
そういう意味では、今の若者は実家でのうのうと過ごしながら、気が向いたら
働くということをしているのもいるようだ。
「住まい」について根本的な気苦労をしていない若者が多いのでは
ないだろうか。そのようなのんびりした環境で育つと、なおさら人生の目的
などあってないようなもので「なんとかなるさ」で日々を過ごしているようである。
寝る場所がない。食べるためには働いて賃金を得なければならない。
賃金と言うものは、ある一定の時間さえ過ごせばもらえると思っている輩も
いるようだが、本質的に賃金とは、働いて雇用主に賃金以上の利益を」与える
ことが基本である。雇用主はボランティアで人を雇っているわけではなく、
利益を上げるために人を雇う。仕事もしないで賃金をもらうことだけを考えて
いるような人は人材ではなく「人罪」なのだ。
人は働いてなんぼである。働いた結果が会社だけでなく社会の役に立って
いれば、それほど嬉しいことはない。
そのような働きをする人を「人材」と言う。自分が人材なのかどうか、もう一度
チェックしてみてはどうだろうか。そんなことはどうでもよい。一日を楽に
のんびりしていたいという人の老後はろくなものにはならない。老後なんて
自分には関係ないと思っている人ほど、老後に辛い思いをしている事実も
知っておくべきだろう。
毎日、精一杯生きることこそ「人生の目的」に近づける唯一の方法だと
思っている。