中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(104)

(104)
井戸君とお父さんのこと
 
この時、檜の苗木を切ったグループのなかに井戸君がいました
(もっとも、井戸君は苗木を切っていなかったのですが)。
彼は、入学時に比べ、やせて顔色も悪くなり、目付きが鋭く
なってきていました。
本来は、やんちゃなタイプではない生徒だと思っていただけに、
私はとても心配でした。担任は母親と何度も連絡をとり、一度
母親に学校まで来ていただくことにしました。
井戸君のお母さんは上品で静かな方で、今時こんな箱入り娘み
たいな方がいるのだろうかと職員の間で話題になったような、
そんな印象の方でした。お母さんといろいろ話をしていくうちに、
次のようなことが分かってきました。__井戸君のお父さんは広域
暴力団を取り締まる刑事で、息子が公立高校の受験に失敗したこと
が残念でならないらしく、帰宅して息子の顔を見ては、「おまえ、
まだ生きとったんか。死ぬ勇気もないのか」
「親類中で公立へ行けんかったには、おまえだけや。これからの
四年間、親類付き合いも、恥ずかしくてできんわ」
「近所で公立受からんかったのは、おまえだけやそうや。恥ずか
しいから引っ越そうか」
などと言っているというのです。井戸君は、お父さんが怖いので
黙っているらしい。彼と父親の会話はなく、一方的に父親がグチを
言っているらしいのです。
夏休みに入ってから、私は井戸君のお父さんに、都合のよい日に学
校へ来て欲しいとお願いしました。
井戸君のお父さんが、学校へ来て下さったのは暑い日でした。エア
コンも扇風機もない暑い教室の中で、井戸君のお父さんと私が向か
い合っていました。
井戸君のお父さんは、学校に来られること自体が不快そうでした。
「私の息子が、なんでこんな学校に入ったんだろう」
と思っておられたのでしょう。その心境は、痛いほど理解できま
した。広く立派な施設の整った高校へ行くことを疑いもしなかった
息子が、選りによって、雑居ビルの中にあるちっぽけな学校に行く
なんて、とても気分の悪いことだったでしょう。
「おとうさんは、井戸君とほとんど会話がないそうですね」
「私も忙しいですから」
「父親は、どなたも忙しいものですが、その忙しいなかにあっても
父子の会話は必要だと思いますよ」
井戸君の父親は、自分の歩んできた道を話し出しました。
「十五歳にもなった男と、なんで会話が必要なんですか?私はね、
十五歳で田舎から出てきて、苦学をして警察官になったんです。
あいつは甘えとるんですよ。家内が甘やかして育ててしまったん
です。男の厳しさをあいつに教える方が大事だと思う」
二人は子育て論でぶつかってしまいました。
「先生はね、私と息子の会話が足らないとか、もっとスキンシップ
が必要だというけれど、私は、私の子育ての考え方を持っています。
先生のようなボンボン育ちの方には分からんかもしれないけれど、
男が十五歳といったら、立派な男なんですよ。話し合いやスキンシ
ップなどというのは小学生の話で、私は、先生にいくら言われても
私の考えを変える気にはなりません」
「お父さんは、暴力団取締りをしておられるのでしょう。暴力団
入っている人たちを絶えず見ているわけでしょう。井戸君がそう
なってもいいのですか」
「あいつらと同じようにならんように、私は息子を教育しとるんです」
「お父さんの思いと反対に、井戸君は、どんどん彼らの進んできた道
と同じ方向へ行っていますよ」
「……」
「井戸君の近況をご存じですか?知らぬは父親ばかりというような
ことになっていませんか」
私は、井戸君の近況を話したうえで、
「お父さんは先ほど、十五歳は立派な男だから、とおっしゃったけ
れど、十五歳でもいろんな十五歳があるんですよ。よく考えてみて
下さい。オギャーと生まれて十五年間、誰でも同じように成長して
いくと思いますか?一人一人成長していく過程が違うのです。十五
年間の間に大きく違ってきます。早く身体が大きくなる子、井戸君
は身体が大きいですね。しかし、精神面は別なんです。精神的に早
く成長すること遅い子がいます。また、いろんな事情や障害で成長
が遅れる子もいるんです。例えば、生まれてくるときへその緒が首
に巻いていたという、どこにでもあるようなことが、その子の精神
面の成長を遅らせるということもあるんです」
「……」
「十五歳だから、身体が大きいからというだけで、誰もが同じという
考え方には問題があります」__「そんなに違いますか?」
「違います。だいたい、この学校へ来たというだけで何か事情があ
るのです。井戸君の生育暦はうかがっていませんけれど、なんらか
の原因があるのです。原因というのは悪いことばかりではありません。
大器晩成のタイプという場合もあります」
「……」
「問題なのは、その原因をお父さんのように、『あいつは、甘えて
いるんだ』とか『根性がないんだ』と決め付けることです。その子
どもの持っている特性を見、その特性に合った接し方や教育方法を
考えようとしないで、『根性がない』と思いこんで、お父さんのよ
うに、根性を叩き込んでやろうと思っているうちに、その子の持って
いる原因が見えなくなり、その子は別の問題を持つようになります」
「……」
暴力団なんかに入っている人は、みんな、こうして大人たちがその
子を追い込むというか、追い出すというか、本来、その子を正しく
理解してやればその子を生かすことができるのに、大人たち、これは
両親や学校の先生や近所の人もそうですが、大人たちがその子を正
しく理解せず、その子の持っているある一面だけを見て、裁いてしま
うのです」
「じぁ、私も裁いているんだ」
「そうですね。お話を聞いていて、そう思います」
「しかし、私も中学校でそんなに優れていたというわけじゃないけ
れど、十五歳で田舎を出てきて一人で頑張ったんです。あいつも、
それができるはずなんですが……」
「お父さんは、先ほど、私のことをボンボン育ちで何も分からんと
おっしゃたけど、私も十五歳で丁稚奉公に行ったのです。 お父さん
がやってこられた道より、丁稚奉公の方が大変だと思いますよ」
「先生は丁稚奉公なさったんですか。どうして今こんな仕事をして
いるんです?」
「話せば長いのでまたの機会にお話しましょう。ただね、私は五十
歳を超えたら、社会に役に立つ仕事をしようと思っていました。
そして、できたら教育をと。私も、私の子どもも、多くの人たちに、
蔭に日向にお世話になって育ったんです。みんな、自分一人で生き
てきたと思っています。しかし、自分一人でどうして生きられま
すか。私に不利なことをした人も、その人がいたからこそ私は生き
られたのだし、あらゆる所で、さまざまな場面で、私は、多くの人
たちに支えられたと思っています。私の子どもたちと私は、十数年
前に離れて暮らすようになりました。私の子どもたちのために、
どれだけ多くの人たちが支えてくれたかを私は知っています。
私は、そのお礼の意味で、この学校を作ったのです」
「そうですか」
「井戸さん、私の願いを一つだけ聞いてもらえませんか」
「何でしょう」
「井戸君と二人で旅行へ行っていただけませんか」
「……」
「二人だけで行って下さい。行くときも、帰る時も、この時ばかり
は説教などしないようにして下さいよ。世間話や景色の話でも、
黙っていてもかまいません。説教がましい話だけは、やめて下さい」
「二人だけで、旅行をしろと……」
「そう、できたら眺めのいい大浴場のある所がいいですね、誰かに
情報をもらって下さい。その風呂場で、『おい、俺の背中を流して
くれや』、その一言だけでけっこうです」
「それだけのために旅行を……」
「そうです、お願いします」
「分かりました。やってみましょう」
「繰り返しますけど、行き帰りやホテルで、説教じみた話を絶対に
しないで下さいね」
「分かりました。そのようにします。しかし、なぜですか」
「私は犬が好きなので、犬の話にたとえさせてもらいます。人と犬も
心を通わすことができます。犬の好きな方なら経験があるでしょうが
、野犬は、どんな犬好きな人が呼んでも近寄ってこないですね。
人を信用していないから近寄ってこないのです。人に大切に飼われ
ている犬は、鎖につながれている時でも、見知らぬ人に対してシッ
ポを振ったり、顔を舐めにきます。飼い主が粗末にしていると、
犬はヒステリックにワンワン、キャンキャンと吠えます。過保護に
している場合も同じです。犬を飼っている家族全部と犬が一緒に
野原へ遊びに行ったとします。そして、犬を自由に放し、家族の
人が順に犬の名前を呼んでみます。犬は心の通い合っている人が
呼んだ場合は、その人のそばまで走り寄っていきます。
心の全然通い合っていない人が呼んだ場合は、ちょっと見てから
無視します。犬とそれほど心が通い合っていない人の場合には、
そうですね、二メートルか一・五メートルぐらいまで近寄りますが、
決してそれ以上近寄らないのです。この一・五〜二メートルの距離の
ことを、ガッチャーゾーンというのです。
人が手を伸ばして犬を捕まえようとしても、犬が逃げることがで
きる距離なんです。親と子ども、学校の先生と生徒の場合にも、
このことは当てはまるのです。近くまで寄ってきてくれたから心が
通い合っていると思っちゃいけないのです。つかまえようと、手を
伸ばしたとたんに、すっと逃げます。つかまえようとすればする
ほど近寄ってこなくなります。親や先生がこのことを知らないで
説教をします。子どもや生徒は、心の中でガッチャーゾーンを作っ
ているのです。近寄ってきた時、ここぞとばかりつかまえに行かな
いことが大切なんです。心を許して、向こうから近寄ってこれる
状態をこちらが側が作ってやる必要があります。井戸君とお父さ
んの場合も、心が通い合っていませんね。井戸君にとって、お父
さんは心を開き安心して近寄れる相手じぁないので、犬にたとえ
たら『あまり好きじぁない』という関係です。鎖につながれている
間は仕方がないけれど、鎖からはずされて自由になったとたん、
その飼い主のそばから離れようとするのです。井戸君も中学を
卒業し、ある意味では野に放たれた状態なのです。こんなたとえで
お分かりですか」
「ええ、分かります。まぁ、私なりに努力してやってみましょう」
二学期から、井戸君の表情が明るくなったことは言うまでもあり
ません。親が子を認めず、親の力を振り回しているだけでは、親子
の関係がうまくいくはずがありません。子どもをどんどん追い込ん
でいくだけなのです。
井戸君のお父さんのように、初めは反論していても、納得すれば
きっちり行動して下さる場合は安心ですが、ほとんどの保護者の
方は、子どもに手を焼いてしまっていて、手も足もでないという
ケースが多いように思います。