中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(95)

(95)
友人たちの反応
 
二月に入り、友人や知人たちが、私のやろうとしていることを知り、
「いったい、どんな学校を作るつもりや?」
「高校受験を失敗した子どもに、チャンスを与える学校を作ろうと
思う。現在の学校制度では、94%前後しか高校に進学できないこ
とになっているから、残りの6%前後の子どもが行き場をなくして
いて、新聞なんかで「無業者」って呼ばれている。この子どもたちを
なんとかせんと、日本は、将来大変なことになると思う」
「高校へ行かれんのは、本人のできが悪いのと違うのか?誰の責任
でもないよ、本人の責任や。そんな子らに手を差し伸べる必要など
ないのではないか?」
「そしたら、誰が、94番目と95番目の順位を決めるのか?」
「そりゃ先生だろう。中学三年間の成績を総合して決めるんだろう。
落ちた95番目の生徒も、もうちょっとがんばっていたら94番目に
入れたということと違うのか?」
その子が頑張って94番目に入ったら、それまで94番目に入った
誰かが落ちることになると思わないか?」
「・・・そりゃそうだけど・・・要するにがんばらなかった本人が
悪いんだよ」
「わかった。じゃ少し妥協して、本人ががんばらなかったからだと
しよう。じゃ中学校を卒業した後、どうすりゃいいんだ?」
「働きゃいいんだよ」
「働くとこがあると思っているのか?94番目以内には入れ
なかったということは、それだけ勉強が遅れているわけだ。
もちろん、高校進学ができた94番目までの子どもと、
落ちたのか落とされたのか知らないけれど、僕は95番目以下の
子どもと大した差はないと思う。勉強が遅れているということは、
それだけ幼いということなんだよ。生まれたときが人生のスタート
だとしたら、人によってスタートダッシュの速い子や、遅い子が
いるだろう?走るのが嫌いな子がいるかと思えば、人と競争する
のが嫌いな子もいるんだよ。大勢の友だちと遊べる子どももいるし、
一人で遊ぶ__のが好きな子どももいる。みんな、その子どもが
持って生まれたものなんだ。頑張れなかったら本人のせいだと
いうけれど、頑張れない子もいるんだよ。だから、勉強が遅れて
いるだけでなく、のんきに育った子どもと考えれば少しは理解で
きると思うけど・・・。それに、『いろんな障害』を持った子ど
ももいて、落とされたなかに入っているということも、放って
おけないと思うんだ」
「障害者には養護学校があるだろう」
「そういう風に割り切って言ってしまえないほど複雑なんだ。
養護学校へ行きたい子どものすべてが入れるわけではないのが
現状なんだ。障害の幅ってかなり広いから、軽すぎても重すぎ
ても養護学校に入れないし、中には養護学校ではなく、健常者
と一緒に学ばせたいと願っている親たちもいる」
「ところで、ゴンタ(やんちゃ)坊主はおらんのか?」
「高校へ行けなかったということは、当然、ゴンタをして入れて
もらえなかったという子どももいるだろう」
「そういう子どもは、おまえの学校に入れるのか、入れないのか」
「誰でも入れる」
「そりゃやめとき。悪いことは言わん。おまえなあ、いくらその子
らのためにがんばっても、戸塚ヨットスクールみたいに新聞にたた
かれるぞ」
「僕は、戸塚さんの考え方と違う。規則は最小限にするつもりや」
「もっと難しいぞ。そのレベルの子どもらに規則をゆるくしたら、
とんでもないことになるぞ。やっぱり戸塚式に、ビシビシやるしか
ないのと違うか」
「・・・どうも、君らは子どものことをよく分かっていないよう
だなあ。自分の生きてきた経験だけですべてを判断しようとして
いるのじゃないのか?僕が、今まで言ってきた生涯教育だって、
ただ単に、人は生涯にわたって勉強した方がいいと言っているの
と違うんだ。世の中にはいろんな人がいて、それぞれの人が、本当は
もっと大きな可能性を持っている。しかし、本人もその可能性に気
づいていない。われわれがふだん接している人たちは、もっともっと
すごいことができる人なんだ。『俺も、もっともっとすごい人間に
変われるのだぞ!』と、自分自身の可能性に気づいてほしい。その
ためには生涯をかけて勉強というか、学習というか、とにかく続けて
ほしい。僕が今まで、生涯教育研究会で言ってきたことはそのあたり
のことなんだ。自分だけが学習して立派になりたい、『努力しない
奴は自業自得』と言うのではなくて、自分が学習して変われたの
だから、あいつも、あの子も、みんなされなりに伸びていく可能性
があるということなんだよ。僕は、そういう意味で学校を作ろうと
しているんだ」
「まあ・・俺たちには、中原さんがやろうとしている高い理想には
ついていけない。理想と現実は違う。学校がそんなに簡単に作れる
わけもないし、そんな子を集めた学校がうまくいくはずもないと
思う。悪いことは言わんからやめといた方がいい。君の今までの
栄光みたいなものが全部吹き飛んでしまうぞ」
「ご忠告ありがとう。でも僕は、理想を現実のものにしてみよう
と思う」
こんな会話を何人の人としたことでしょうか。友人たちが私のこと
を心配してくれているのがよく分かります。なにしろ、1983年に
戸塚ヨットスクール事件でが大きく報道され、問題を持つ子どもの
ことがクローズアップされた直後でしたから、友人たちの心配も
やむをえないことでしょう。
しかし、友人の誰もが「教育に関する仕事は、君に一番向いた
仕事だと思う」と異口同音に言ってくれたのは嬉しかった。
教育者でもない私に「教育者が一番向いている」という声は
大きな励みにもなりました。