中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(14)

「今を生きる」と「生かされている」という言い方がある。
ある著名な作家先生が、「生かされている」と言うのはきざな言い方で好きではないと
本に書いておられると言う(私は読んでいないが)
この二つはどのように違うのだろうか。
生かされていると言ういい方の中には、目に見えない誰かに生かされているから、
生かされている分、何かに貢献しなければという観念がある。
それに対して、単純に「生きる」だけでいいのだよ、生きるだけで価値があるのだよと
いう違いだと言うことらしい。
もう少し踏み込んで考えてみたい。
20歳代や30歳代の若い人が「生かされている」と感じることはあまりないだろうと思う。
若いころは、自分の未来に対して不安の毎日だと言ってよい。自分の将来に不安を持たない
若人なんていたら気持ち悪いとしか言いようがない。
将来に対する不安があるからこそ、それに続く成長があるのだと私は思う。
「生かされている」と感じるのは、よほどの苦難を潜った後か、かなりの高齢になってからでは
ないだろうか。そういう意味では、先ほどの作家先生は、苦労知らずなのか、まだ若いかの
どちらかだろうと思う。
私の経験を書こう。
16歳の頃、大阪の青年会(当時は農村だけでなく、大都会にも青年会があった)の集いの
帰り道、同年代の女性にこう言われた。「中原さんは、ハンサムなのにいつも暗い顔をしてるね」と。
そうだったかもしれないと思った。当時は「自分ほど不幸な人間も少なかろう」と思いながらの
日々だったからである。しかし、その女性に指摘された夜から、私は鏡に向かってにっこり
笑うように務めた。無理笑いの顔は歪んで見えた。それでも、一カ月も経つと、自然な笑い顔が
そこにはあった。それ以来、どこへ行っても、どんな時でも「中原さんは苦労知らずのボンボンでしょう」
(最近では、ぼんぼんなんて言い方をしないかもしれないが、いいところの生まれ育ちと言う意味)
と言われるようになった。
どんなに苦労しても、いつも笑っておられるようになった。
人間のDNAは30億基もあるが、そのほとんどは眠っていてる。OFFになっているのだ。
そのOFFになっている部分をONにするだけで人生は変わってくる。
要は、本人がONにしようと心掛けない限りONにはならないと言うことだ。
「為(な)せばなる、なさねばならぬ何事も、なさぬは、人のなさぬなりけり」と言うことわざがある。
やろうとするかしないかで、やろうとすれば何事も出来る筈なのだ。
私はこの言葉に触発されて、自分を変え、生きてきた。
眠っていたDNAをONにして、生きてきた。そして今日がある。
昨夜も湯船につかりながら「ああ・・・生かされてるな~」と独りごとをつぶやいていた。
次回は、19歳からの新たな旅立ちを書こうと思う。