中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(3)

16歳で祖父母や父親の兄弟姉妹たちなど、親せき全部の縁を切るほどの決心をして
2度目の島からの脱出をしてからが、正真正銘の「わが道」だった。
神戸中央職業安定所に職探しに行き、灘区水道筋にある、小間物・化粧品店を紹介された。
保証人がないと言うことで雇い主は躊躇したようだが、とにかくにも雇ってもらえた。
六甲おろしの北風がまともに吹きこむ角店で、とにかく寒さに震えあがりながらの毎日だった。
週に一度は、親方に仕入れには私を連れて行った。
仕入れから変えると値札を付ける作業をする、仕入価格から何%掛けて売値にするかを
指示された通りに作業を進める。大阪での仕入れ、仕入れの駆け引き、値段の設定、
お客さんのと対応など、日に日に身につけて行った。
しかし、狭いという表現以上に狭い台所に3人が寝泊まりし、朝は前夜のご飯の残りに
3切れのたくあんだけ。飯と言っても半分は麦が入っていて、朝にはこちこちに固まっているから
熱い湯を3度も掛けないと食べられない始末。昼には近所の肉屋さんのコロッケ2個と言う
お決まりの食事だった。
あの時代とはいえ、それはとても過酷だったが、野宿するよりましだと耐えたものだった。
その時の店は今でもある。その後大いに発展し、多くの支店を出し、マンションを何軒も保有
するほどにまでなったようである。
2010年、60年ぶりにこの場所を訪れた。娘夫妻が近くにとんかつ店を出すことになったからで、
不思議な縁でもある。
この店で働いていたある日、近所に住むお客さんから「あなたのようによく働く人がほしいのだけど
お友達を紹介してくれないかな」と声を掛けられた。そこで、淡路島の印刷所で働く友人に手紙を
出すと、彼から行きたいと言ってきたので、その旨を伝えた。
しかし、当日になって彼はやって来ない、連絡もない。
「あなたが来てくれれば一番いいのだけど」を誘われてその気になった。家の中での作業であり、
寒くなさそうだったから、ついその気になってしまった。