中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(4)

16歳、まだ幼いと言えばそれまでだが、勤め先のご近所の方からの誘いに
その気になって仕事を変えてしまった。もちろん先の勤め先への不満があったからでもある。
狭い台所に3人の住みこみ店員。食事は最悪の上に猛烈に寒い環境の中で一日中立っての
仕事などに対して不満があったから、誘われて乗ってしまったが、ご近所だったこともあり、
問題になってしまった。
新たな雇い主は、とても素晴らしいご夫婦だったが、「せっかく来ていただいたのに、やはり
ご近所と言うこともあり、まずいので、あなたには気の毒だけど、もしよかったら私が世話になった
大阪の親方のところで働いてくれないか」という話しになった。
大阪は私の生まれ育ったところだけに問題はないが、すばらしいご夫婦との出会いだっただけに
寂しかった。
宝石類を入れるケースを作る手仕事だったが、その方が修行していた大阪の親方のところに
行かないかとのいうことなのだ。
大阪行きを決心していくことになった。神戸の藤崎さんという新しい勤め先とは僅か一週間の
ご縁だった。
大阪の南区にある「日本ケース」という所に勤めることになったが、あとから考えると、親方の
角田さんに出会ったことが私の人生に大きな影響を与えたように思える。
角田さんの自宅の筋向いに作業場があった。タバコ店の2階の狭い空間に親方を含めて
4人が働いていると言うこじんまりとした規模だった。
30歳を過ぎた先輩と私より3歳年上の先輩と3人がタバコ屋の2回で寝泊まりし、食事などは
親方の家でいただいていた。
まずは、その食事だが、神戸の小間物店とは雲泥の差で、私が生まれてこの方食したことの
ないようなメニューが毎日だった。
小学生1年生の頃、クラスでも背は高い方だったが、中学を卒業する頃には低い部類に入って
いたものだ。ところが、この角田さんのお家の食事のおかげか、ストレスのない日々のためか、
1年間で15センチも背が伸びたものだ。
当時は昭和26年、終戦の傷跡は深く、貧しい暮らしの人々が大半を占めていた。悲惨な暮らしを
している人々が多みられた頃だった。
そんな時代に、クラシック音楽を鑑賞させ、ダンス教師を連れて来てダンスの練習をさせ、読書を
推奨して下さったおかげで、一挙に文化と言うものに接した。
あの時の強烈な印象が、私の中に残っており、私を文化度の高い生活へと誘ったものだ。
出会い。それはとても大切なものだと思う。
この方に出会ったことが私の人生に影響を与えている。だから、私は多くの若者と接する時、
そのことを心がけながら、大切に接するようにしているのである。
出会いが出会いを呼び、そこに別の人生が生まれることだってあるように思えるがどうだろうか。
そういう出会いのすべてに感謝している。