中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(5)

このブログを読んでくださっている方が、どういう年代かよくわかりませんが、
もし55歳以下の方ならいろんな意味で分かりにくい面があろうかと思いますので、
今回は少々注釈的なことを書いてみようと思います。
 私の15歳の頃にはすでに住みこみの丁稚(でっち)奉公と言うのは少なくなっていました。
丁稚奉公と言う言葉すら今の若い人たちにはなじみがないかもしれませんね。
私の頃は、丁稚奉公と言うより「住み込み店員」という言われ方をしていました。
当時でも住み込みで働くと言うのは、まだまだ丁稚奉公制度の名残があり、お休みは
月に一度(一日で、おついたちなどと言われていました。)
(4)に書いた日本ケースでは、毎週日曜日が休みで特別な待遇だったものです。
もちろん食事は、雇い主と一緒なんてことはなく、ひどい食事が普通でしたから、日本ケースでの
親方家族と一緒の食事と言うのは、並はずれたことだったものです。
住み込み店員になるにも「保証人」が要ります。そういう点では私の場合、社会の中で生きて
行くのが大変でもありました。
 保証人がないのに、認めてくれて働かせて頂いたことはラッキーなことでした。
現在のように、どこにも職がある時代ではありません。最近仕事がないという問題が
クローズアップされていますが、いまならアルバイトなどいくらでも日銭を稼げる職場があるのでは
ないでしょうか。そういう意味では、私の時代にはアルバイトなんて気軽な稼ぎ場はありませんでした。
 楽をして稼ぎたい、親の家に住んで、気楽に暮らしたいという贅沢な環境の中に居て、「仕事がない」
と言うのは、単なる甘えとした言いようがありません。生きていくと言うことは、それほど簡単なことでは
ないのです。私の場合、その日が屋根の下で眠れられるかどうか、3度の飯が食えるかどうかという
切羽詰まった中での毎日だったと言うことなのです。
 汚い仕事がいや、しんどい仕事がいやなどという甘えはほとんど通用しない時代だったとも言えます。
 住み込みで働くと言うことは、どれほど大変なものかを次回に書きたいと思います。