中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

思い出に残っている食べ物(4)

 思い出に残っているのは美味かった食べ物とは限らない。
なにしろ小学校が国民学校と名称変更させられた年に入学した
世代だから戦中戦後を生きたことになる。戦争が始まる前は
世界大恐慌と言われる大不況でもあったのだから、美味しい
食べ物に出会うことが少なかったのは仕方がない。
 それでも、15歳の秋に神戸中央職業安定所から紹介されて
行った神戸市灘区水道筋3丁目の北東角にあった「つるや」での
住み込み店員としての食べ物は私の人生の中でも最悪だった。
「つるや」さんは、その後大いに儲けて支店も多くなり、マンション
経営なども行ったと聞いている。 小間物と化粧品を扱う小さな
角地の店だった。 冬場になると、店のすべてが開けられている
中に六甲おろしが容赦なく吹き付けてすごく寒かった。
 毎日の食事は決まっていた。 新婚間もないような奥さんは料理を
作らなかった。 ご主人は仕入れなどもあり、奥さんがお客さんの
対応があって忙しかったのかも・・とおもう。
 夜は(なぜ夜から書くのか・・)麥が半分入っているご飯と奥さんが
近くの商店街から買ってきたお惣菜(今もそうだが、昔は今以上に
水道筋商店街は活気があった)。朝は、昨夜の残りのご飯に沢庵
3切れ。麥が半分入っている飯はグルテンが多くて固まってしまって
いる。湯を沸かして飯に掛け塊をほぐして、もう一度湯を掛ける。
この時の経験から、あの黄色い沢庵が嫌いになった。
 昼は決まって・・市場の入り口にあった肉屋さんのコロッケ2個
だった。 この店にいたのは僅か3か月ほどだったが辛い日々だった。
 この後、救世主が現れる。私の働きぶりを見ていた近所の奥さんから
声がかかって大阪へ行くことになり、私の人生が(食人生も)変わって
いく。