中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

総選挙で革命が起きた

今回の選挙で「官僚制打破」と言う言葉がよくつかわれた。選挙後に鳩山氏は
「官僚依存体質からの脱却」と言い換えている。
いずれにしろ、官僚が日本と言う国を引っ張ってきたことには間違いない。

日本の官僚制度は歴史が古い、どこまでさかのぼるか、人によって考え方は
違うだろうが、ここでは明治政府からとしておこう。本当は明治政府も古い官僚制を
真似ただけなのだが…。

とにかく、維新後の明治政府は「お上」としての権威が必要であり、そのために
天皇の権威を利用することにした。
明治までは、下々の人間にとって「天皇」とはあまりご縁がなかったので、明治政府は
天皇に各地へ行幸をしてもらい、その権威を誇ることに汲々とした。
しかし、地方に行くほど天皇のことなど知らない。
天皇」って一体誰なのだという民衆の問いに「おまえは、正一位のお稲荷様を知って
いるだろう、その正一位を任命された方が天皇さまだ」というへんてこりんな説明をして
民衆を納得させたという逸話があるほどである。

薩摩と長州藩の下級武士が明治維新の中心となり、明治政府の中核を占めたのだから
「権威」をかさにしなければ、仕事を失った武士たちを抑えきれなかったし、民衆も
納得しなかっただろうから、仕方のない戦略ではあった。
しかし、日露戦争にきわどい勝ち方をしたのに、国民は圧勝したと勘違いして浮かれ、
マスコミもそれを煽ったために、日本はどんどん間違った方向へと進路をとることに
なった。
軍部の台頭と共にますます政治は国民から遠く離れていき、戦略なき戦争へと
向かって行ったのである。

戦後、官僚たちは良く頑張った。もちろん戦後の日本は資本主義社会と言いながら、
長らく社会主義的経済体制をとることによって戦後復興を成し遂げたという側面が
あるが、これらは官僚による統制経済が功を奏した結果と言える。
だが、大雑把に言って戦後30年年間は政治家もしっかりしていたから、最近の
ように、何もかも官僚任せではなく、政治家主導だったと言える。

近年になるほど、学歴だけが誇りの世間を知らない官僚が、これまた世襲の2世3世の
馬鹿ども議員を手玉にとって政治そのものを主導するようになっていったのだ。
どこまで官僚主導か。
予算を考えるのも、議会で答弁するのも、全部官僚が書いたものであって、議員が
自分で考えたものでないと言うほどひどいものだ。
もし、会社などでこのようなことをやっているとすれと、たちまちのうちに、その会社は
倒産するだろう。

長らく中選挙区制だったことにも一因がある。地元優先主義で、国益を考えない議員が
増えてしまったことだ。
霞が関では、官僚たちは「国益」より「省益」を優先し、議員は「国益」より「地元益」
を優先すると言った風潮が長らく続いて、日本と言う国はどんどん駄目になって行った。

このままでは、日本はつぶれてします。
何か方法はないか。明治のような威信が起こらないものか。
民主的な革命を起こすことができないものかと、日本を憂いてきた人たちも多かろう。
私もその一人だった。
外国の「邦人紙」ではあるけれど10年以上ずっとそのことを書いてきた。

今回の選挙は、まぎれもなく「革命」である。国民が民主的な方法で革命を起こしたのだ。
すごいことではないか。
これからは、この革命が無駄にならないように国民みんなが力を合わせ、百年先の日本を
見据えてこの国を立ちあがらせなければならない。

これで政治革命はとにかくスタートさせることができた。
しかし、国民のレベルが下がったままである。
マナーの悪い老若男女がいかに多いことか。
日本と言う国は、徳川時代や明治時代の宣教師たちの驚きの声を待つまでもなく、
世界に誇るマナーの良い、そして清潔な国だったのだ。
と言うことは、人間的に優れていたということなのである。
一人ひとりが、自分の人間性を向上させ、「日本作り」に協力しようではないか。