中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

大嘗祭について深く考える。宗教、費用、天皇の地位など

 JR東京駅・丸の内駅前広場で14日夜、大嘗祭に反対する集会が

あった。主催者の男性はマイクを持ち「たった一晩の儀式のために

27億円もの税金を使い、巨大な神殿が建てられた」と。「大嘗祭反対」

「税金返せ」とシュプレヒコールの声を上げたという。そこで私は

一言書いておきたい。

 大嘗祭(だいじょうさい)、昔は、おおなめさいと言っていた。

天皇家にとっては新しい天皇になった時の重要で神聖な」儀式なのだ。

以前に書いたことがあるが、天皇とは神主さんのトップの立場でも

ある。全国の宮司さんたちのトップという立場は昔から変わらない。

変わらないというより、ずっとそうだった。

 明治維新が起こり、維新後の日本をどのように支えていくかが問題

となった。そこで政府は天皇を利用し国家を安定させようと考えた。

それまでの天皇本来の役割を大きく変えてしまったのだ。京都から

無理やり東京に天皇を連れて行ったのも維新政府だった。しかし、

ここでよく考えなければいけないことがある。日本には、それまで

国家と言うものがなかったのだ。徳川幕府は国家というものではない。

天皇を担ぎ出して、初めて国家が形成されるようになった。だが当時の

人々は天皇とは誰なのか?と言うほどに知らなかった。当時は国家が

なかったのだから「国民」もいなかった。それぞれの人々は藩に属して

いたからだ。 そのために明治天皇は全国を回ってお披露目させられる

ことになった。「天皇とはだれだ?」「おまえは、正一位稲荷大明神

知っているか? その、稲荷大明神に一位を授けたのが天皇じゃ」と

いって納得させた話が九州にあるという。 ところが、大正天皇の御生母

である柳原二位局が、明治天皇大元帥の服を着用して白馬にまたがって

軍隊を閲兵している写真をご覧になって、「われわれ天皇家も、ひょっと

したらダメになるのではないだろうか」と仰ったという。天皇と言うものは

大神主として、秩序の中心であったということを、公家の家に生まれた二位

局がご存じだったからなのでしょう。それでも明治天皇大正天皇と日本は

世界に向けて国家としての繁栄と認識をもたらした。 問題は昭和に入って

からの軍部が統帥権なるものを使い、天皇を引きづり込んで行ったことだ。

戦後、天皇家がなくても繁栄できたかと、よくよく研究すればわかるように

戦後の廃墟の中の混乱から、ここまで日本が立ち直れたのは天皇家に拠る

ところが多いのではないか。

 大嘗祭で27億円云々は昨年だったか秋篠宮さまが指摘されていたこと

でもあり、将来は見直されるだろうと思っている。新しい天皇が生まれた

時に大嘗祭が行われる。毎年行われるのではない。 宗教的に許せないと

言う人がいるだろう。神道(しんとう)なんて関係ないと思う人もいる

だろう。何かがあれば神社にお参りする人も神道などと考えたこともない

かもしれない。わたしも神道の信仰者ではない。しかし、天皇が果たして

来た役割を考える時、そして世界の目を思うとき、天皇を毛嫌いするのは

少し違うのではないかと考えている。天皇が果たしている役割は、とてつ

もなく大きいのだ。天皇の日々の日程を知れば、だれもが納得できるだろう

と思っている。