中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

病友、夫婦、社会・支え合えるのはどこまでか

 私は、がん患者会を主宰している。80歳の時に肺塞栓症

死にそうになった時に活動を縮小したが、かなり大きな美術展

を第七回まで開催したし、コンサートも開催してきた。

「がんサロン」は兵庫県で最初に開催して以降、毎月開催を

続けているがんの勉強会も毎月開催を3年間続けたし、大規模な

講演会も行ってきた。がん患者の見舞いなども行ってきた。

 日本がん楽会を組織してから来年2月で丸13年になる。

では、なにを成し遂げられたのか? いつも、そう思いながらで

いる。別に成し遂げる必要はないのだけれど、誰かのために、

いくらかでも役立つことが出来たのだろうかと、常に自分に問うて

いる。豪州・パースで立ち上げた社会福祉法人・サポートネット

虹の会は、私が帰国した後もどんどん育って、日本政府からも表彰

されるまでになった。帰国してからは、がん患者会を二つ作った。

自分自身がいろんな病気を持ちながらの活動ではあったが、それでも

少しは誰かの役に立ちたかった。 それがなしえたか?と問われれば

こたえられない。自分なりにはよく頑張ったともいえるが、それだけ

である。多くの仲間が「がん」に倒されていった。ごく普通の生活なら

これほど多くの「死」に向き合うことはないだろうが、さまざまな「がん」

のために辛い日々を送った方々と知り合い、励まし合い、手を取り合って

きた。それが、その人の支えになったのだろうか?と、つい思ってしまう。

亡くなる前に電話をくださって、「支えてくださってありがとう」と言われた

こともあった。13年前に相談を受けた九州の方とは今も近しい間柄だ。

そう思うと、多少は役立つこともできたのかな・・と思っている。

 妻は言葉少ない人だが、がん患者になった私を黙って支え続けてくれた。

今、その妻が脊柱管狭窄症で辛そうだ。今度は私が支える番だと思って

いる。ところが、昨日「神戸阪急」まで行くという妻を支えるべく一緒に

歩いた。平成天皇・皇后さまのように腕を組んで歩こうか・・と、腕を

くんだ。 ところがである、以前に腕を組んで歩いていた時とは全く違う。

私の腕にど~んと妻の力が加わって、かなり腕に力を入れておかないと

わたしがつぶれそうになった。そして、悪い腰がより痛くなってしまった。

要は、支えきれないのだ。情けない思いがした。 今日はい週間に一度の

食材の仕入れのだった。 「これからの1週間で四日分は僕が作る」と

宣言した。その目的で食材をかった。筑前煮をおおめに作って二日分。

鶏もも肉のステーキと味噌汁の日、スパゲティー(ミートソース味ナス)

以上で四日分。どれも作り慣れたものなので自信はある。ほかにも・・と

おもうが、妻は妻で自分のやりたいことをしたいそうだから、四日分でも

本音はありがたくないのかも知れない。3年前から掃除には大いに協力

しているが、腕組みと同じで、支えているつもりが、そうでなかったり、

支えるということはとてもとても難しい。 支え合うなんて言うだけなら

簡単だが、体力がないと支えられないものなのだとおもう。そこが老々

介護の難しいところだろう。今はまだ、二人ともなんとか自分のことは

自分でできる。それが、すこしでも長く続けられるようにと願っている。

キッチン仕事は妻の場合、足の痛みがひどくなる、それを少しは補いたい。