中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

今日は「がんサロン」の日だった

 今日は「がんサロン」の日でした。日本がん楽会が兵庫県

初めてがんサロンを開催してから、毎月第2水曜日に開催して

きました。現在は4カ所目になるAASJさんの事務所を使わせ

ていただいています。 日本がん楽会(らっかい)を結成した

のは207年2月でした。その前年には粒子線治療を受けた患者

ばかりの組織を作ったのですが、いろんな部位のがん患者さん

から相談を受けることがおおくなり、全部位のがん患者たちが

参加できるものをと作ったのでした。「らっかい」という言葉を

使ったのは「楽」という文字に従来からの楽しむ、楽になるなど

の外、束縛から解放される、自由になるなどの意味があると感じて

取り入れました。楽市などは、自由市場になっていて、束縛がない

のです。 がん患者になった方でないと理解できないかもしれませ

んあ、がんを告知(宣告ではないのですが、だれもが宣告されたと

言いますよね。それほど死を意識するからでしょう)されると、だれ

もが「がん」が頭から離れなくなってしまいます。寝ても覚めても

「がんの2文字が心の中でがんじがらめにしてしまい、その人の持って

いる人間性まで奪ってしまうことは珍しくありません。 もっと心を

解き放って自分らしさを取り戻しましょう!と、呼びかけたいのです。

 日本がん楽会は、これまで「がんサロン」の外に「美術展」を開催

してまいりました。かなり大きな「総合美術展」でした。これほど

大きな美術展だとは思ってもいなかった!と多くの方々に驚きを与える

内容のある素晴らしい美術展だったと自負しています。患者も、患者

以外の方達も作品を出展してくださいました。私が80歳になった年に

大病を患い(肺塞栓症)ましたので、その翌年の美術展を最後に取り

やめることに(準備が大変なので)しましたが、第7回まで開催できた

のは、多くの協力者が支えてくださったからでもあります。次回の

がんサロンのご案内から、過去の美術展出品作品を1点ずつでも掲載

しようかと考えています。

 コンサートも2度開催しましたが、なによりも「がんサロン」の

最初の1時間を音楽家のご協力を得て各種楽器の演奏にあて、その後の

1時間の「囲む会」にだれもがすんなりと入れるようにしていたこと

です。最も多く参加してくださった時は50名ほど参加されていました。

 がん勉強会を月に1度、2~3時間やっていました。身体の仕組みから

がんとは何ぞや・・幅広い視野で「正しいがん知識」をメンバーに

知ってほしいと思ったからでした。これはおおいに役立ったと思います。

 さて、今日の「がんサロン」の参加者は11名でした。毎回2時間、気楽

に語り合いながら、勉強会であり、この1か月間の体調なども述べ合う。

多くの方達が亡くなっていきました。その方たちが亡くなるまでのすべて

から学ばせてもらったり、お互いに支え合ったりした日々を記憶にとど

めています。真正面から一人の人生や死と向き合うことはめったにないで

しょうが、そういう添い方、向き合い方をしてきたことは、そういうことが

ない人の人生よりも深いかなって・・思ったりしています。