中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(133)私を守ってくれたのはだれなのか

《読書の楽しみ》

 時間はたっぷりあるのだから、読書ができる。 14年間で読んだ本は5千冊ほどになった。この中にはハウツー本とか漫画本などは一冊もない。 

小説、エッセイ、対談集、専門書だった。 すべての本は日本から送ってもらったので、定価の1,5倍ほどになった。 いまなら安く買えたかも思えるが、当時は紀伊国屋さんを通じて買うしか方法がなかった。 

妻も読書が大好きだったので、ベッドの上で夜を徹して読んでいたことが何度もあった。 妻の場合は、若い時代に文学書を読んでいたので、あちらでは新しいタイプの推理小説にのめりこんでいた。 

私は、若いころに推理小説をたくさん読んでいたので、推理ものはいらない。 複雑な世の中を理解ができるようになった歳に至っていると思えたので、内容の深いものを選んで読んでいた。 特に、司馬遼太郎氏の著作については、それまでに読んだものも含めて、すべてを何度も何度も読み返した。 40歳以降の私を育ててくれたのは、司馬さんだったと勝手に思い込んでいる。 司馬さんが私の師匠だと信じている。 その内容の幅と深さは他の追従を許さないだろうと、いまも思っているために、89歳を超えてからも書棚から引っ張り出しては読んでいる。いつ読んでも新鮮に思えるのだ。

読書のスピードは、どちらかというと遅読タイプである。 まず、黙読はしない。口の中だけではあるが音読にこだわっている。音読することで、字も覚えるし、わからないことは辞書で確認する。     妻の場合は、分からないところは「感」で読み飛ばしていくタイプなので読み方がかなり違う。 

パースにいた頃は、時間があったので何時間でも読めたが、帰国して85歳を超えてからは目も悪くなり、一日に30ページから50ページを目標に読んでいる。 しかも読書の場所はトイレと決めている。 それでもこの半年間で、浅田次郎さんが20年以上かけて書いた「蒼穹の昴」を連作も含めて15冊を読破した。 一日30ページ読むだけで半月に一冊以上が読める。

 読書が出来ない人は、読書に慣れてないか、(文章が理解できない)字を知らない、熟語が分からないか、根気のない人だろうと思う。 そういう人は、日本語をしゃべってはいるが文章は書けないものだ。

妻は、二年前から司馬遼太郎さんの著作を読み始めた。もちろん彼女の大好きな宮本輝さんの著書も読んでいて、わたしも読む。

我が家の書棚には、司馬遼太郎さん、宮本輝さん、村上春樹さんの著作は、全てではないが、80%はそろっている。

パース時代に書斎の三面をふさいでいた本のほとんどは、長年にわたって新聞記事を書かせてもらったお礼に、帰国時に邦人新聞「JAニュース」社に寄付した。