中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(52)私を守ってくれたのはだれなのか

《 引っ越しのための土地探しと家の建築 》

 ここからが大変だった。念書を入れているので二年間で明け渡さなければならないが、なにしろ場所がない。いまの場所で400羽程度が飼えると思っていたが、家がついている空き地なんてないだろうなと思った。予想していたわけじゃないが、今の鶏舎は牛車に乗せて移動できるように作ってあるので、鶏の移動は上手くいくだろう。だが自分たちの住む家がない。とにかく空き地を探そうと不動屋さんに行っても、そんな場所あるわけないでしょうと言われる。そりゃそうだ、この町なら自分もよくしっている。町内で養鶏が出来そうな所なんて思い浮かばない。

 不動屋さんが、ひょっとしてあそこなら、貸してもらえるかもしれないよと、妙ななことを話し出した。あの土地を持っているのは、中田への道路沿いにあるタバコ屋の「ごおつくばばあ」と言ったらすぐわかるよ。高利貸しで有名なばあさんだから。

 話を聞いていると(あの場所)というのは、私が良く知っている「庵の下の家」のことだとわかった。あの家にはサチコさんという女性が住んでいた。彼女は時おり私が育った丘の上の家に遊びに来ていた、美津子叔母と同い年のようだった。楽しく話している最中に、とつぜんにワッと声を上げ倒れてしまう。みんなは事情を知っているのでそっとしていると、やがて立ち上がり、恥ずかしそうに俯き、すごすごっと坂を下りて帰って行った。そういうことを何度も見ている。そのサッチャンが、庵の山から池の方に垂れ下がっている木で首をつって死んだという。

 「庵の下の家」の家族は東浦のほうに引っ越した。家が取り壊され、木材などを運んでいた馬車の馬が溝に落ちて死んだとも聞いたがこれは本当かどうか確認していない。サチコさんのことは近所の人からも聞いていたので事実らしいが、馬の話は本当かどうか知らない。

不動屋さんが言うには、だれも買い手のない土地を安く買ったのはいいが、ゲンの悪い土地なので、さすがに、ごおつく婆でも、売れないで困っているらしいぞという。だから、あそこなら貸してくれるだろうというのだった。

わたしにとっては、ゲンが悪かろうがほかに適当な物件が見当たらないのだから仕方がない、当たって砕けろ。あたってみようと帰宅する道そばにあるタバコ屋さんへ行ってみた。(あの土地)を貸してほしいというと、相手のほうがわたしを気持ちわるそうに見た。

『あの土地のことを知った上で来ているのだね』と念を押す。うなずくと、貸してしまえば売れなくなるしと、ぶつぶつ呟いていたが

『いったい何に使うんだい』

『「養鶏をやろうと思っています」

『買う気はないのかい』

『買いたいのですが、お金がないんです』

『安くしておくから買っておくれ』と言い『貸せないよ』とも言った。

弱みに付け込まれた感じなので、安くしてくれるっていくらなんですかと訊くと、おもったより安いが、金がないので知り合いに相談してみますといって去った。わたしに準備できる金は半分しかなかった。

佐野という町に嫁いでいる四女の美津子叔母さんのご主人に相談してみようと思った。みんな私が知らないうちに嫁いでしまったが、美津子叔母は、だれよりも私を気にかけてくれていた人だった。顔立ちも性格も育ての母によく似ていた。未生流の生け花を座敷で生けているとき、わたしも傍に正座して見ていたこともある。編み物がすきだった。編んではほどいて編みかえる。その時に両腕を出して、毛糸を巻き取る手伝いを何度もやらされた。

そういうこともあり、志筑に戻ってから佐野の家に伺ったことがある。叔母の主人もシベリア抑留からの帰還者だというし、呼び名は私と同じだった。そのお父さんは町議会にでていたし、町の漁協の組合長でもあり、県の漁協のトップをされたこともある素敵なおじいちゃんだった。若い私に上手に話しかける内容が魅力的であった。おばあさんも易しく行儀のよい方だった。父の十人の弟妹たちのうち、弟は二人戦死し、わたしの育ての母もなくなり、残るは、弟が三人、妹が四人だったが、だれよりも美津子叔母の家族と親しくなっていた。

そのようないきさつもあり、これまでの経緯もあって佐野の伯父には好感を持っていたので一か八かで相談に出向いた。伯父はわかった、いっしょに行こうと言って下さりタバコ屋へ行き、値切りに値切ってようやく決着がつき買うことを決めた。伯父が半分貸してくれるという。もちろん土地は共同名義にした。

土地は、おもっていたより簡単に見つかったが、これからどうするかが問題だ。早くしないと、鶏の数も増やせないし、すべてが頓挫してしまう。あちこち駆けずり回って、洲本市で解体する古家を買うことにした。解体した家の木材など一式が牛車で運ばれてきた。三角田の所を左に向かい、池の堤までのぼり、庵の山に近い堤の上に盛り上げられた。柱も梁も窓も敷居もあり、柱の敷石まであった。柱に触ってみると手が真っ黒になった。何十年も煤にまみれた木材だ。木材にはあちこちにノミによって開けられた穴が開いている。それらを避けながら、新たに設計するのは至難の業だ。

解体木材を池に放り込み、荒縄をつかって一本ずつ洗っていく。それだけで体がなえるほど疲れた。洗って干した木材を肩に担いで坂を下り敷地に運ぶ。そのたびごとに「庵の山」を見て十三重石塔のことを思い出す。今は、さびれて全く面影さえない。近づく人もなく気味悪い存在として放置されている。

その時に、鞄の中に入れてある十三重石塔の下の石のことを思い出した。石を家から持ってきて、むかし遊んでいた辺りをかなり深く掘り、穴の底を均して「星形」に十個の石を置き、土をかけて埋めた。