(神戸で就職する)
連れ戻された僕を見て、「馬鹿な奴や」と呟いたのは六男の栄治だった。
栄治は、五歳近く歳上だが小学高等科をでて十四歳から交通会社で働いている。家族からもあまり頼りにされていない人だったが、よくがんばって、それなりに生きた人だ。
最初は、モンキーと言って手を差し出されても判らず、スパナと言われてもわからず、その度にこっぴどく叱られ、辛い思いをしたと、日々帰宅してぼやいていた。
それを訊いていて「僕でも知っている工具なのに」と思ったことがあった。父とはーさんが働いていた運送会社ではよく聞いた工具だし、手にした工具だった。
この人に「馬鹿な奴や」と言われるとは情けないと思ったが、ぐっと堪えた。
児童相談所が、子供たちのためのものじゃないのだと知ったことは、世間に出て初めての大きな知恵となった。
児童のための相談所ではなく、問題児を抱える親たちのための相談所だったとは知らずに訪れた僕はバカだった。
名称には紛らわしいものがあると知っただけで、強くなった。
ぼくは問題児じゃない。自分でしっかり生きている一人の男なのだ。これからは看板や社会の仕組みなどには気を付けようとおもった。
翌朝早く家を出て再び神戸へ向かった。もちろん、だれも止めはしない。堂々と家をでて、薬局に立ちより、無断外出を詫び、退職を申し出て許していただいた。
神戸に着くなり、電話ボックスで電話帳を繰り、「中央職業相談所」を探しだして訪れた。
就職先を紹介してもらった。たった一日でずいぶんと賢くなったものだと、われながらうれしくなった。自分で職を探すことから始めるのが社会人一年生だと理解したのだった。
身元保証人がいなくとも、当時は「米穀通帳」というものがあった。米の配給を受けるための通帳で、雇うほうにも利があり、身元を証明する役目もある。
米の配給制度が今も役立っていることを知った。このころの高校生の部活運動で、都会のチームと対戦するために一泊する場合などは、選手一人ずつに米一合を持っていくようにと言われていた時代でもあった。
職業安定所では四つほど紹介先を示されたが、灘区水道筋3丁目の化粧品および雑貨の店を選んで店を訪れた。
店員は現在二人いて三人目だと言う。八坪もない狭い店に商品がびっしり並んでいる。店の奥に三人の丁稚が寝起きする小さな空間と流し台があり、親方夫婦は二階で寝起きする。
あの当時とは言え、過酷な労働条件であった。店は二面明け放しで、厳しい六甲おろしの風が、容赦なく吹き込んでくる、もちろん暖房もない中での一日だった。
朝食は昨夜の残りの、固まっている麦飯に黄色いたくあんが二切れだけ。来る日も来る日も黄色いタクアン二切れなのには、丁稚を馬鹿にしているように思えた。祖母と一緒に漬けた沢庵は美味かったが黄色い沢庵は大嫌いになった。
寒さで麦飯が固まっているので湯を二度かけて、固まりをほぐし暖かくして食べる。昼食は、近くの市場の角っこで売っているコロッケ一個と決まっている。夜食は、炊き立ての麦飯に、市場で買ってくる出来合いのおかずだった。
二人の丁稚とは、あまり話し合うこともなかった。店は狭いしお客さんはよく来るし、夜は親方たちが二階にいる。奥さんがヒステリー気味で夜に大声で夫婦けんかをする日が多く、うんざりしたものだ。丁稚三人で話し合う機会などなかった。話し合うことは、腹減ったな~だけだった。
それでも僕は親方に信頼されたのか、荷物担ぎのためか、大阪の仕入れに付き添い、仕入れ方などをいろいろ教わった。店に戻ると伝票を見ながら、値を決めて値札を付けていく。仕入れ方、値の決め方など学ぶことは多かった。商売は儲かるなと実感した。
(大阪への道)
ぼくの働きをじっと見ていた人がいた。ときどき店に来られるご近所の奥様だ。その方から紙切れを渡された。
「毎日ご苦労さま。ちゃんと見ています。もしよかったら、一度ここを訪ねてみてください」と書かれた紙を渡された。そこには大阪南区の住所が書かれていた。
悪意があるとは思えない。なにか私にチャンスをくださるのかもしれないと期待した。
三月の初めの休みの日に、谷町筋と上本町筋の中間にある住所へ行くと、静かな佇まいの住宅街の中の一軒家に、その名があった。
小さな門戸を開け、玄関の扉を開けて、ごめんくださいと来意を告げると、ご主人が出てきて
『神戸から電話で訊いていたよ。君がきょうあたり訪ねていくかもしれないとね。君のことを教えてくれたのは、神戸にいる私の弟子の奥さんだ。「いい子がいないかな~と、おっしゃっていた親方のご希望に添える子を見つけましたと」って言っていたよ。今日は、おついたち(一日)で休みだから、ひょっとして来るかも知れないと楽しみにしていたのだよ』
初対面から抱きかかえるように接してくださった。よほど神戸の弟子の奥様の報告が良かったのだろう。神戸の弟子は家で同じ仕事をやっていて、できれば君のような子を置きたいとも思ったが、ご近所で引き抜いたとなれば悶着が起きるだろうから、大阪の親方に譲ろうと思ったらしいよと話してくれた。
本宅といわれる住まいの、斜向かいのタバコ屋さんの二階へ案内された。八畳二間を続けた程度の作業場で二人が机に向かってしずかに作業をしていた。
『君がこれまで見たこともない仕事だと思うよ。宝石を入れるケースでね、指輪、ネックレスなどを入れる。こっちは高級品で、薄い皮で作られている。こっちは特殊な紙や布で作られている。どっちの製品にも金箔で模様を焼き付けて仕上げる。どうだ、きれいだろう』見てごらんと言われて手渡され、うんうんとうなずきながら親方の手に戻した。