この前(12)の記事はひどいものでしたので、少し書き直しましたので読み直して下さいね。
宣教師との出会いは、外国人に初めて会ったという驚きや、当時の日米の文化の違いを思い知らされと同時に、広く外国に目を向けるきっかけともなったので、私にとっては大きな出来事でもあったのです。
それから40年も後に、カナダのバンクーバーに住んだときも、豪州パースに移り住んだときにも外人アレルギーもありませんでした。
そういう私についてきた妻も安心して外国に溶け込めむことができたでしょう。
今でも野尻湖湖畔で宣教師の奥さんが作っていたサラダを真似ています。
レタスを切らないで手で千切って混ぜる。
新鮮に思えたのですが、実は西欧人の多くが、包丁、まな板を使わず手とハサミを使うことが多いのですね。
70年前に新鮮と思えたものが、実は手抜きだったとは。。
でも、レタスは手でちぎった方が美味しいように思えます。