中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

旅の思い出あれこれ(16)ロサンジェルス

  2011~2012年にオーストラリアのJA・NEWS新聞に連載したものを
 ここに再掲載しています。
 旅が好きな方には、古い話してあっても 楽しんでいただけると思います。
 お盆の連休を利用して海外に行かれる人が多いようです。
 何事もない無事な旅よりも、いろいろなトラブルがある方が旅の思い出は
 残るものですよ。
 わたしも世界のあちこちを旅した日々のことを思い出しています。

旅の思い出あれこれ(16) 「ロサンゼルス&サンディゴ」
 (アメリカ・カリフォルニア州)
 ロサンゼルス市(Los Angeles)のことを日本ではロスと呼ぶことが多いが、外国では通用しない言い方なのでここではLAということにしておきたい。ちなみにロサンゼルス空港はLAXと呼ばれる。LAには、何度訪れたか数え切れないほどである。本紙の2008年10月号「マネーの暴走をもたらすもの」の中で、25年も前のLAでの面白いエピソードに触れたが重複するので避けておこう。LAについてはパリやニューヨークのような大感激を味わったことはあまりない。
 LAは広大な都市である。LA市そのものは人口300万程度でさほど大きな街とは思えないが、周辺都市(パサデナウエストハリウッドビバリーヒルズカルバーシティサンタモニカトーランスロングビーチホーソンガーデナカーソンアナハイムアーバインコマース)を含めると1500万人という大都市となる。私は40年も前に、LAを経験することで、日本と違った行政区域の在り方や行政の仕組みを学んだ気がしたものだった。周辺都市にはそれ以外にも多くの都市があるが、LAという時には上記の周辺都市を含めていわれることが多い。


私が縁あって最も長く滞在したことがあるのはガーデナ市だった。日本人が多く居住していることもあって日本レストランが多い場所でもある。住宅街の広々した佇(たたず)まいに驚いたものだった。家の玄関から向かいの家の玄関まで何メートルほどあるのだろうかと、歩測してみた。30メートルを超えていた。日本の家並みを考えて、当時は驚いたものだ。


犬の声帯カットの事情を知る
 LAからフリーウエイで1時間も走ったところにあるリバーサイド市にまで足を運んだことがある。家々の屋根が木の板で葺(ふ)かれていたのに驚いた。板の屋根は軽くて建築費も安くできる。以前はLAでも木の板で屋根葺きをしていたようだが、火災の際に延焼することが多いために禁止になっていた。
 LA地域では特別な許可なく犬を飼うことができないために、こんなに遠くに住んでいるのだと説明を受けたことがある。今ではどうなっているのか知らない。住宅地では許可を受けられないので、ガレージなどでこっそり犬を飼う人が多い。そのためにアメリカでは犬の声帯カットが普及し、その技術は進歩していた。獣医師が行う声帯カット手術を見学したことがあるが、犬に全身麻酔を注射しての手術はかわいそうだった。声帯カットされた犬の声は「パフ、パフ」という感じでほとんど聞こえない。住宅街で犬が吠(ほ)えやまない時は警察に通報することができる。そして犬を射殺されても異議を唱えることができないので、やむなく声帯カットをするのだという。これらの事情はLAだけなのかどうかは知らないが、多くの州で行われていたように思う。
LAで食べたもの
 初めてLAを訪れた時のこと。出迎えてくれた友人が、空港からまっすぐ海岸まで車を走らせ、魚屋さんで大きなカニ10匹買って帰った。すぐに茹(ゆ)で上げ、テーブルに新聞紙を広げてみんなで食したが、あの時の驚きは新鮮だった。カニみそが少ないので、味はそれほどでもなかったが、腹いっぱいカニを食べた気がした。
 LAでの食べ物印象はあまりないが、果物が豊富でおいしかった。特にあちらで食べるオレンジやサクランボはうまい。日本食を食べる機会が多かったともあって、LAでの食べ物の思い出が少ないのかもしれない。
ニュートーキーのライオンズクラブメンバーに
 LAに「ニュートーキョー」という日本人街がある。LAを訪れた日本人なら、一度は足を運んだことだろう。縁があって、当時のニュートーキーの会長と親しくなった。
 私は、神戸の灘ライオンズクラブに在籍していた。神戸では歴史のあるライオンズクラブであり、なかなか加入できないといわれている。ところが、例会への出席率向上に拘(こだわ)っていて、多忙な時でも会場になっているホテルまでハンコを押しに来てほしいなどとつまらぬことを言う(現在も同じだと聞く)。多忙な日常を送っている私には鬱陶(うっとう)しい話が多い。そのことをニュートーキョーの会長に話すと、移籍手続きをしてこちらのクラブに入るようにと勧めてくれた。LAに行くのは年に2度程度だが、それでもよいと言うので、お言葉に甘えて移籍した。
 当時の会長に聞かされた話で忘れられないことが二つある。「ロサンゼルスは私がまだ子供のころは、砂漠独特の枯れて丸くなった植物がごろごろと転がっていたものだよ。こんなに大都会になるなんて」と。彼は日系3世だった。そして、アメリカ政府の、諸外国に向けての排他的法律は、現時点では日本に対するものが断然多く、日系人会としてアメリカ政府に抗議中なのだ」という説明だった。今では、北朝鮮イラク、イランに対する排他的法律が多くなっているのだろうか。少なくとも30年ほど前までは、対日本排他法律が一番多かったようだ。若者たちには、理解できないかもしれない日米の過去の関係を、こういうことを通じて知っておいていただきたい。
LAの観光
 LAには、なんといっても映画の都ハリウッドがあり、スターが住むビバリーヒルズがあり、高級住宅地が広がるサンタモニカがある。ハリウッドのチャイニーズシアターも有名だが、歩道に刻まれたスターの手形を見ても感動しないのはなぜなのだろうか。ビバリーヒルズは、さすが一流スターが住んでいる地帯とあって豪華な邸宅群に圧倒されるが、それは、マイアミのスターアイランドと同じ「スターたちの特別区」という感じだった。
 しかし、私が好きなのはサンタモニカにある「サンタモニカピアー」だ。1909年に造られた木造の桟橋で、サンタモニカのシンボルになっている。日中は観光客や地元の人々でにぎわう。名物のピアーの上には遊園地パシフィックパークや、アーケード、カフェ、新鮮なシーフードを食べさせる屋台、ギフトショップなどがある。休日にはミニコンサートやダンスなども行われ一日中楽しめる。私が西豪州・パースに居住する場所を決める時に、ソレントを選んだのは、規模こそ小粒だがソレントキーがサンタモニカピアーと似た部分があるからだった。前述の「カニを買った場所」がサンタモニカピアーだったと、後になって分かったものだ。LAの海岸線は美しい。住むなら海岸沿いだろうと思った。
 LAのディズニーランドやユニバーサルスタジオは、オーランドのそれと比較すると規模が小さく、私にはつまらなく感じられた。
 アカデミー賞の受賞式が行われるコダック・シアター(ドルビー・シアター)も、授賞式以外の日に建物を見ても何の感慨も起こらない。あれは映像で観(み)る方が素晴らしい。LAに行った回数は多いが、多くの場合、LAで感激することは少なかったのは、たぶん平坦(へいたん)なロケーションの故だろうと思っている。観光ではないが、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)は、アメリカではハーバード大学と1・2位を争う有名校でもある。友人の息子がこの大学に通っていたが、その宿題の量がすごかった。彼はそれに耐えて勉学しアメリカの、超一流の会社への入社を勝ち取ったようだ。
サンディエゴへ旅する
 LAからサンディエゴに行こうと思い立った。アメリカとメキシコとの国境を接する街である。カリフォルニア州ではLAに次いで大きな街でもある。この街は「国境の町」「基地の街」として知られている。
 LAのユニオン駅からサンディエゴに向かうべく、ニュートーキョー近くのホテルから家内と足早に駅まで歩いた。時刻表は事前に調べておいたので十分間に合うはずだった。改札口に着くと2人前の客が窓口の係員と長話をしていてらちが明かない。かといって他の窓口もない。係員はその客に切符を渡すと、後ろに並んでいる人たちにウインクをして窓を閉めてしまった。次の発車時間前まで切符は売らないらしい。次の列車まで1時間余り待たねばならないので駅前のメキシコ村で食事をしたが、これはなかなかうまかった。
 時間ぎりぎりに行ったのでは、また切符が手に入らないと思い、早めに出かけた。ユニオン駅の駅舎は立派だった。床は大理石を敷き詰め、内装はアールデコ調で格調があった。今も脳裏に駅舎の印象が強く残っている。
 やっと切符を確保して、アムトラック全米鉄道旅客公社の通称)の急行に乗り込んだものだ。
 さて、サンディエゴに着いたが、LAに戻るまで数時間しかなかったのでタクシーを利用しての観光となった。海の上に高くそびえるようにして美しく弧を描いて延びるフリーウエイを走ると軍港が見える。多くの軍艦が集結していている様は、平和時に見ると異様な感じがした。
 その先に有名なホテルがある。「コロナド」ホテルである。マリリン・モンローの映画「お熱いのがお好き」の舞台ともなった格式ある古いホテルで、エジソンが発明した電球を、世界で初めて使ったホテルもここだそうだ。
 このホテルが有名なのは、「私は国王として重大な責任と義務を果たすことが到底不可能である。愛する女性の助けと支えなしでは……」と言って退位した英国のエドワード8世がその女性(シンプソン夫人)と出会ったのもこのホテルだった。それにしても、英国の国王というのはなんとユニークな存在ではないか。ヘンリー8世の場合は、離婚を許さないローマカソリック教会と対立し、カソリックから離脱して、すべての教会をアングリカンチャーチ(新教に属する聖公会)にしてしまった。日本の天皇にはあり得ないことだろう。
 市内を散策して感じたのは、国境の街らしくメキシコ文化があふれていて、なぜか落ち着いた感じだった。それに懐かしさすら覚えたのはなぜだろうか。ゆっくり住んでみたいと思わせる街でもあった。