私は、どんなタイトルを突然あたえられても、文章をかける自信がありました。
だから、新聞に十数年間も書き続けましたし、帰国後はブログを十数年間続けています。
ところが、一週間ほど前から湧いてきません。
文章は考えるものではなく、自然と湧いてくるものなのに、湧き水が止まったような感じになりました。
筆が重くなったという言い方がありますが、水が湧かなくなったのです。
どうしてでしょうか?分かりません。
3つの理由があるようです。
最近読んでいる浅田次郎さんの【蒼穹の昴】は、中国の清朝末期を描いており、その時代の首都北京と天津の違いが書かれています。
天津が、首都を超える近代化が進みつつある時代と、それを為し得た李鴻章という人物という人を思い描き楽しむ。
その時代に、思いを馳せ、深く考えすぎていて、抜け出せないのです。
もう一つは、トンガの海底火山の大爆発です。
被害状況すら把握できない中で、いろいろと心配してしまいました。やっと、さほど大きな被害はなかったようだと知って、胸をなでおろしていますが、近代化した現在でも、素早く救いの手を差し伸べられない自然の脅威に慄いてしまう。
そして、3つ目はオミクロン株の大爆発です。
日本だけでなく、世界で毎日のように過去最多を重ねています。
過去のことに思いを馳せ、現在と未来を考え、混乱したのでしょうか。
書けなくなってはいますが、私の頭の中は、それぞれの要素の中で、味わいを楽しんでいるのです。
ある時は、あの大混乱期の中国の各地に思いを馳せると、実際は現実を何も把握できていなかった西太后に翻弄されていた当時の中国の悲哀を思う。
新型コロナウイルスと言う現代の悪魔と戦う人類を思う。
そして、いつの日か、数ある海底火山が世界のあちこちで大噴火を起こし、火山の噴火も連鎖するかもしれないことを想像すると、新型コロナウイルスなんぞ、恐ろしくなくなってしまう。
こんなことを、いろいろと思うにつけ、自然と湧き出すはずの文章が、湧き出してこないのです。