人生というものは一人一人が持っているもので私だけのものではありません。 人の一生は短いようで長く、長いようで短いとも言われます。私の場合は比較的山あり谷ありの波乱が多かったのではないかと思っています。
人生の最終章と言っても人それぞれに違いますし,人それぞれに受け止め方も違うだろうと思います。私なりの最終章について考えていることを音声入力で取り止めてまいります。
私が今のようにベッドに横になったままの状態になって多くの娘や孫やひ孫まで枕元に集まったのは私の人生で今回が最初であり最後だと思っています。
なぜならば万一私が死んだ時には,そのまま遺体を引き取って焼却してもらうように三年前に葬儀会社と契約してあることを、代表的な立場の長女には伝えてあ
るからです。
死んだら通夜もしないよ。生きているうちに見た顔が最後の顔だからねと言ってあります。
だから、いつも見納めだと思っておいてとも言ってあるのです。
きれいに整えたヘヤーでもなく、ピシッっとした服を着ているわけでもない、
どちらかというと、痩せ劣ろえた姿が娘たちへの最後の私の印象として残るのでしょうか。
娘や孫たちには、私の華やかな頃の姿をほとんど見せたことがなかったように思います。娘が5人孫が、11 人、曾孫が二人。日本の人口構成には貢献しています。娘達には何もしてやれなかったが、根性だけは受け継いでくれているようだ。だから、これからも立派に生きて行くだろう。配偶者にも惠まれているから心配ない。
妻は父が60 歳で産ませた子なんです、というのが初対面の時の挨拶だった。
神社の神主だったようだ。妻と知り合った頃には、もう父はいない。だから私は一度もお会いしたことはない。
それなのに、妻の父に一生大事にしますから、私が守ります、と誓っったように今でも思っている。
脊柱菅狭窄症で、日々痛みが増して辛くなっていく妻を私が救えなくてはと思う。少しでも、奇跡が起こって治れば妻の面倒を見てやりたい。それが、いま考えていることなのです。