球磨川氾濫で思うことは「予測が不可能だったのか?」だ。
素人の私が言っても仕方がないが・・・素人なりに思うことがある。
河川というのはそれぞれに特徴があるものだ。 高低差の少ない
土地にあっては蛇のように蛇行する。蛇行とはうまく行ったものだ。
外国の平らな土地での蛇行する河川を飛行機から眺めると、
上空からではなく、川に船を浮かべていたとすれば、どこに向かって
いるのか、その方向すら見失ってしまうだろうな・・と、考えてしまう。
日本の河川の場合は、そんなものは少ない。地形に沿って激しく
流れるものが多い。
球磨川は昔から三大暴れ川として有名だったという。 だったら、
専門家たちはすでに今回の氾濫も予見していたに違いない。そして、
予見に基づいて監督官庁に提言を行っているはずなのだ。
では、なぜ監督官庁は備えなかったのか??ということが今後
だって、ある程度の予見は持っていたはずであり、数年後に補修
などを予定していたかもしれないが・・。
問題は、その重要性の認識度が低かったのではないかとおもえる
ことだ。 重要性によって「予算獲得」がなされる。予算などと言うのは
いい加減な方法できめられる思いつきのようなものも多い。それは
新型コロナウイルス対策における予算の組み方を見ても分かるだろう。
今回のように、多くの犠牲者が出て初めて重要性が強調されて、予算
獲得・・工事着工に至る。 犠牲者がでなければ動かないのが、日本の
官庁だと思えばよい。 球磨川の地形を見ていると、素人目にも明らかな
問題点がある。問題地点と言い換えてもいい。 その地点で、災害が発生
している。 これは・・天災というよりも、人災と言い換えてもいいのではない
かと、私は思っている。