中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

今のニューヨークのようだった長安の1216年前

 高野山で代表される真言宗の開祖である「空海」が、遣唐使

一人として中国へ行ったのは、今から1216年前の804年だった。

それがどれほど古い話かということを比較すれば分かる。

天神様(神様)になった菅原道真遣唐使を中止させたのが894年

であり、あの超有名な源平合戦が繰り広げられたのが1180~

1185年であり、平家が滅んだのが1185年なのだ。 

 だから、804年というのがとても大昔だったということが実感?

できる。その804年当時の中国の首都であった「長安」には、すでに

イスラム教もキリスト教も入っていて、西欧人が街にあふれ、今の

N・Yのように多民族が集まっていたし、多民族による酒場(バー)

などもあり、西欧諸国人のホステスもいたという。当時の日本から

は想像もつかない別世界であったらしい。

 日本人の中には、戦争中の教育やプロパガンダの影響もあって、

中国を後進国のように考えている人たちも・・いる。 中国は

紀元前2000年も前からの文明を持った国だとは思いたくないの

だろう。たしかに、紀元前2000年前から紀元後の唐の時代までの

中国と、それ以降とは少々評価が異なるのは分かっているが・・。

 そんなことはどうでもいい。私は804年に中国へ渡った空海が、

中国語を滑らかに喋り、中国人以上の達筆と文章を書けたという

事実に単純に驚いているだけである。 いつの世にも、信じられ

ないほどの人物が現れるというわけではない。やはり空海さんは

すごいという他ない。 あの高野山で、都市を作り上げたことだけ

でも、凄すぎる。 わが家は真言宗であったし、子供のころから

お経を読まされていたが、真言宗の何たるかを、家族も集落の人

たちもほとんど知らなかったに違いない。それは、お寺さんたちの

怠けだったのではないだろうか。 伝道・・という大切な仕事を

せずに、金儲けの葬式宗教にしてしまった罪は大きい。真言宗が、

宇宙に結び付く、壮大な思想の元に作られたということなど、お坊

さんたちは語らなかった。 いまも語っていない。死後の世界ばかり

を説いて、葬式と法事で稼ぐことばかりを考えているのではないか・・

話が飛んでしまったが、804年の長安の世界に・・私は浸っているの

です・・。 45年前にN・Yに行った時も多民族の多さに驚いたが、

それが1216年前の長安にも・・と、想像を膨らませて、楽しんでいる。