中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

昼食後・妻と語り合ったこと・ヒマの時にお読みください

 毎年、お正月には三日間お雑煮を頂くが、今年は2日目から私がいつも

作っているサラダ、果物とパンコーヒーに戻している。12月に疲労が重なって

体重が56キロにまで下がっていて、年末の1週間は十分な睡眠もとれなかった。

しかし昨日は11時半まで眠ったし、今日は12時半まで眠っていた。睡眠中だけ

吸入している酸素量も0,25キロ増やしあのが良かったかも。睡眠が十分とれ

多ので、体調も回復してきているように感じている。

 さて、話は急に変わるけれど、ブランチ後に・・どういうことで始まった

のか・・釣竿の話になった。私は釣りはほとんどしないが釣り竿については

少々・・知っている・・と言っても、昔の竹で作った継ぎ竿のことだけれど。

妻の父が、使わないで大事そうにしまっていた継ぎ竿を持っていたという。

多分、名人が作った竿だと思うよ・・と、解説している内に、私も魚を釣った

ことがあるという。 妻の実家では、1斗缶(これが分かっていただけるか

どうか・・)5つほどに、アユを囲炉裏で焼いたものを入れて、日常の出汁に

使っていたほどアユがとれていたらしい。(因みに、淡路島の私の場合は、

アユなど縁もゆかりもなかった。出汁と言えば干しじゃこだった)

 妻が川で釣った魚と言うのは「もと」と言うらしい。そんな魚名を聞いた

こともないので調べると、ハヤ、ハエ(各地・混称)アカバエ、ヤマソ(北九州)

モト(近畿地方)ハイジャコ(和歌山県)ムツ、モツ(琵琶湖沿岸)ブト(静岡県

アカマツ香川県)など、各地に多くの方言呼称があるとある。

 淡路島の場合は和歌山と同じ「ハイジャコ」と呼んでいたものと同じだという

ことで、ハイジャコなら池でも連れていたよ・・と、話が弾んだ。

 でもさ・・中学生の2年ごろまでには(72年前)ハイジャコもドジョウも、

タニシもカラス貝もみんないなくなっていたな~あれは、当時、田植えのあと

に生えてくる雑草取りの手間をなくすために使った2‐4Dと言う農薬を使った

ためだと思うよ・と。そういえば・・2‐4Dは、ナイロン靴下を作っていた

ヂュポン社が作っていたのじゃなかったかな?? ヂュポン社と言えば今でも

世界第4位の化学会社だ。20世紀のダイナマイトや火薬を独占製造いていた

兵器会社でもある。 だれも知っているのはライターやナイロン靴下程度

だが、私は「悪の会社」だと思ってきたのでよく覚えていた。

 釣竿の話から、魚の話に、そして農薬の話までつながって、1時間余りの

楽しいブランチとなった。そうそう・・もともとは石榑(いしくれ)製 竹と

いう会社が、JRの「神足(こうたり)」駅の近くにあって、竹竿を製造

していたという話であり、その話になったのは、眼の前に置いてあった

明治製菓のチョコレートをみたから、であった。明治製菓の隣が石榑製竹

だった。話は、どこまでつながっていくのか・・と、いうわけでした。

「神足」という駅名はもう変更になったらしい。阪急で言えば「長岡天神

の南へ行ったところろだ。長岡と言えば「遷都」され「長岡京」と呼ばれた

ところなのでご存じでしょうから省きます。