昨夜はソールウエーのサーモンをフライパンで焼いた
ものを食べた。最近の我が家では魚と言えばこれしか
でない。 だからかもしれないが、無性に魚が食べたい。
スーパーへ行くと(スパーの魚と言うのは、どうみても
美味そうには見えないけど)ブリとかサバとか並んでいる。
だが、妻は背の青い魚が嫌いだといって食べない。背の青い
魚ほど体のためにはいいんだよ・・・と言っても聞いてはく
れない。豪州・パースに住んでいるとき、魚を焼くと1週間
以上も家が臭くなって困ったことが何度かある。それ以来
焼き魚をしなくなった。パースでの家はいま住んでいる家の
5倍以上広い家だったが、なぜか匂いが抜けてくれないのだった。
外人は焼き魚の匂いをとても嫌うので気をつかった。
妻の高校からの親友は、肉は食べないが魚を毎日食べるそうだ。
そのために、まいにち出かけて魚を買うのだそうだ。足が痛くとも
魚は買いに行くらしい。ご主人は肉が食べたいらしい。
こんなことを書いていて、ふと父親のことを思いだした。父とは
住んだ期間がとても短いので記憶に残っているのは僅かだが。
焼き魚か煮魚だったのかは覚えてないが、とにかくきれいに食べる。
完全に骨から身も皮も食べつくす。それから残った骨にお湯をかけて
スープのように飲む。もう一度湯をかけて飲む。周囲の人たちが、
それじゃ猫も食べられないわ~と言っていたことをしっかり記憶
している。 司馬遼太郎さんは、魚が大の苦手らしい。鯛のお頭
つきなどを食べる人が気持ち悪く思えるらしい。姿かたちがある
ものを、箸でバラバラにして食すなんて残酷なことは、私にはできない
と書いておられる。たまたま、みどり夫人と出会った時に「魚が大嫌い」
というのを聞いて、伴侶にしようと決めたという。ところが1か月ほど
して、みどり夫人もメニューに困ったのか朝餉に塩サケをだして、これなら
食べられるでしょう」と言ったという。あの時は残酷だったと述懐いている。
私は、何でも食べる。なんでも食べなきゃいけていけないという、最も
食に関しては悲惨な思いをした昭和一桁生まれなのだ。なんでも食さなければ
生きては行けないのだから。 当時は、いい魚など食べたことはない。ジャコ
類ばかりだった。ジャコ類は骨が多い。 鮒を釣ってきたり、ドジョウを
取ってきたりした。鯛だとか、鰤だとか、はまちだとか・・それらは、成年に
なって初めて口にできたような感じだが、16歳で住みこんだ角田家では正月に
大きな鯛の丸焼きがあった。もちろん・・少しだけ食べただけだが。
ブリの照り焼き、ブリ大根、イワシの生姜煮も好きなんだけどな~。