中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

旅の思い出あれこれ(15)バンクーバー

 2011~2012年にオーストラリアのJA・NEWS新聞に連載したものを
 ここに再掲載しています。
 旅が好きな方には、古い話してあっても 楽しんでいただけると思います。
 読み返しながら、世界のあちこちを旅した日々のことを思い出しています。

旅の思い出あれこれ(15) 「バンクーバー」 (カナダ)
カナダ移住を決めて
 バンクーバーは、私たちにとって特別な街である。
1990年、カナダへの移住を視野に入れながら3度目のバンクーバー訪問をしていた時に、現地の新聞で「退職者移住受け入れ中止に対して弁護士会が抗議」という記事を見つけた。帰国して東京のカナダ大使館に問い合わせると「退職者移住制度はなくなりました」と言う。そんなはずはない、先週カナダの新聞に制度中止予定と書かれていたと抗議すると、「通常は予備審査の上で本申請受け付けをするのですが、あなたの場合は特別に、予備審査を省略して本申請を受け付けますから2週間以内に提出してください」ということになった。慌ただしく書類を整えて提出した。このような経緯を経てカナダ移住が決まった。
 それまでのバンクーバー訪問の経験で、数人の日本人移住者とも懇意になっていたこともあり、居住するのはノースバンクーバー地域でと決めていたので、早速コンドミニアム探しを始めた。ノースバンクーバーは、バンクーバー市街からバラード入り江を挟んだ北に位置している。バンクーバーから車で行く場合は、スタンレーパークの岬から延びているライオンズ・ゲート橋を渡って行くのだが、徒歩の場合は、ウオーターフロント駅から出ているシーバスに乗ってバラード入り江を渡って行く。西豪州・パースでいえば、市街地から対岸のミルポイントに向かって舟に乗るのと似ているが、距離は約5倍以上あるし、川ではなく海だというところが違う。
シーバスがノースバンクーバーの船着き場に着いて、メーンロードのロンズデール・アベニューの坂を上っていった角地のコンドミニアムを購入した。部屋からは行き交う船や対岸のバンクーバーの市街地がよく見える眺めの良いところだった。
 移住した日本人たちの話を聞くと、何しろ釣りが楽しいという。バラード入り江には魚があふれているらしい。魚やカニなどは買うものではなく釣るものだと言っていた。大型貨物船が行き来している海なのだが、入り江というだけあって比較的海は穏やかだ。そこで竿(さお)を垂らしているといくらでも釣れるよと言う。カニなどは前夜に仕掛けておくと食べ切れないほど獲(と)れるらしい。私は海釣りに詳しくないしそんな趣味は持っていなかったが、老後を、釣りでもして楽しむのも一興かと思ったりしていた。
  初めてバンクーバーを訪れた時に、美しい街だなと思った。パリとかニューヨークとかロンドンのような大都会とは違い、ゆったりしたたたずまいの中に美しさがあった。その美しさの要因は公園が多く、街のどこに行っても花があふれていることだった。公園の数が世界一だとも聞いていたが、うなずける気がした。
公園というと、ダウンタウンの西に巨大なスタンレーパークがある。周囲約10キロメートル、広さ約400万平方メートルを誇る公園である。西豪州・パースのキングスパークと同規模程度だと思うが、スタンレーパークは海沿いにある平坦(へいたん)な公園であり、園内には、水族館、動物園、ミニチュア鉄道、ライオンズ・ゲート橋、トーテムポール・パークなどの観光スポットのほか、プール、海水浴場、ゴルフ場、テニスコート、乗馬クラブ、クリケット場、サイクリングコース、ローラーブレイドコースなどもある。散歩に疲れたら園内や周辺のレストランで休憩を楽しめる。ニューヨークのセントラル公園も好きだが、やや治安面で怖い一面があるのと違って、スタンレーパークは安心して過ごせるし、公園内にある多くの施設が楽しいので、すっかり気に入ってしまった。
公園というとクイーンエリザベス公園にも行ったことがある。小高い丘の上にある公園で、かなりアップダウンの激しい公園だった。熱帯植物が多く見られるのと、ノースバンクーバーを眺められる位置にあって楽しめた。私たちが行った時はチューリップの花が広い面積を覆っていた。この公園は、その名のように格式ばっていて楽しさは味わえない。
 美味いものが多い街
 移住するとなるとやはり食べ物がどうなのかという心配があるが、バンクーバーの場合には、そんな心配は無用だった。どんな食材も豊富であり、日本より廉価だった。何よりもうれしいことは魚類が豊富なことだった。漁場に恵まれていて年中魚に恵まれているということだった。街には寿司(すし)店が当時から多かった。どの寿司店も外人でにぎわっていた。
「亀屋寿司」という名だったと思うが、外人向けのメニューでとても人気だった。「錦(にしき)」という名の寿司店があった。22年も前のことを書いているので、どの店の場合も今はどうなっているのか知らないが、錦さんでの思い出は大きい。何度かのバンクーバー訪問の際に食べた「錦」寿司店の味に魅了されて移住を決めたといってよいほどである。
 その店で出会った商社マンがいた。カナダの魚類を日本に輸出しているという。彼の言うのには「ここで出されているマグロは、日本では中トロとして売られている。マグロの種類が違うので身の色が中トロのように見えるのと脂がよくのっているからだ」と。ミル貝も美味かった。やはり魚場に近いところで食べる寿司は美味い。味は一流、値段は三流という感じで気に入っていたが、今ではどうなっているのだろう。
 中国人の多い街
当時は香港返還が迫っていたこともあり、中国人の海外脱出ブームだった。当時よくいわれていたのは「一流の金持ちはカナダへ、二流の金持ちは豪州へと脱出している」というものだったが、その通りだったのではないかと思われる。香港返還によって資産を共産党政権に奪われるのではないかと恐れた資産家たちが、われ先にと海外移住を始めたのだった。そんな時代だったから、バンクーバーの街は中国人であふれていた。巨大ビルの新築も中国系が主だった。香港銀行も当時新築中だった。いずれバンクーバーは中国人に乗っ取られてしまうのではないかと思うほどの勢いだった。時勢というものは恐ろしい。今では、それらの資産家たちが、中国本土に拠点を持って経済活動を行っていることは周知の通りである。オリンピックなどで、中国系カナダ人の大活躍を見るにつけ、当時のことを思い出す。
 寒さゆえにクーバーを逃げ出す
 移住を決める時、バンクーバーの気候を調べたものだ。いろんな資料には、緯度は樺太(カラフト)と同じだが暖流の影響で暖かく、平均気温は東京より2度ほど低い程度だと書かれていた。
私は、寒いのが大嫌いなのだ。現在では、ぜんそく管理の難しさに辟易(へきえき)している毎日だが、当時から気管が弱く一年中風邪をひいているような感じだった。背中に寒さを感じると咳(せき)が出るというふうだった。だからこそ、バンクーバーの気温チェックをちゃんとしたつもりになっていたのだが、とにかく寒い。
部屋の中は全室に暖房配管が施されていて暖かい。管理費に暖房費が含まれていた。ベランダにつるした寒暖計で外の気温をチェックしてから、衣類を整えて外出することになる。その習慣は六甲山の中腹に住むようになった現在も続けている
 ノースバンクーバーの裏山には、いくつものスキー場がある。家から車で15分から25分程度でスキー場に到達する。現在住んでいる六甲山中腹の家から六甲山人工スキー場までも約15分程度だから同じようなものだ。バンクーバーの場合は人工ではなく本格的なスキー場だ。車でスキー場の駐車場に着くと、その場所からリフトが降りていくようになっている。スキー場に来たという感覚がないほど至って便利なのだ。スキー大好き人間なら、これほど恵まれた土地を離れることはないだろう。
しかし、寒さゆえに、ゴルフが年間を通して半分程度しかできない。それも寒さを辛抱してのことである。コンドミニアムには屋外プールが付随していたが、年間に1カ月間も使えないという。
このままでは、老後の私の体が持たないだろうと考えて、早々と帰国することを決意した。せっかく手に入れたコンドミニアムだったが、売りに出して帰国した。その時の経験から、平均気温などというものを鵜呑みにしてはいけないということを学んだ。
帰国後すぐに次の移住地として西豪州のパースを候補に挙げたのは、海外移住を考えていたころに、NHKドラマの「夕陽をあびて」(出演は、八千草薫さん、大滝秀治さんなどで、パース在住の方がドラマのモデルだといわれていた)を観(み)ていたからだった。1991年秋にパースに約1カ月半滞在し調査をして移住を決めた。パースを第2の移住地と決めた背景には心情的にバンクーバーがあるように思っている。街の美しさ、公園が多く、街には花があふれている。そして何よりも気候が私に向いている。年中通じてゴルフを楽しめる。1992年に、ソレントの海や公園の見える場所に移住するに至るが、いつの日かパースについて書こうと思う。