中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

浅田次郎氏のエッセイからフアッション論議を

 私は浅田次郎氏の作品が好きである。あれだけのものが書けることに
尊敬の念を持っている。小説もエッセイも面白い。だからよく読んでいる。
 しかし、どうしてもかれに文句を言いたいこともある。
物知りの浅田氏にしては、少々浅知恵のままに書いていることがある。
ここでは2点だけ触れておきたい。彼の「ま、いっか」(集英社)のエッセイは
ひどい。
第1点は、大阪についてである。彼は生粋の江戸っ子として、東京を褒め
たたえる。自分の生まれ故郷を自慢したくなるのは当然のことではあるが、
少々褒めすぎな感じも否めない。私は東京育ちではないが、普通以上に
東京を知っているが、彼が言うほど凄いとは思わない。彼がほめすぎるから
そう言いたくなるのだが、確かに良いところがいっぱいあるのは認めよう。
 
 だからと言って、大阪をコテンパンに貶すのは止めてもらいたい。
大阪の何を知っているというのだろうか。ここで一つだけ、大阪のよいところを
書いておきたい。
 大阪城は、鉄筋コンクリート作りであって芸術品ではないが、あの城を
作るにあたって公費を使っていない。民間が捻出した金で作ったものだ。
戦後の通天閣も凄いものとは言えないが、地元民が金を出し合って作った
ものなのだ。
 
 東京のように、何でもかんでも階級制度の中で育ったものには分からない
大阪の良さがあるが、ここでは多くを掛けないので省く。
 大阪弁も、今の大阪弁は本来のものと違う。お笑い業界が作り出した
下品なものがまかり通っていて、他の地域の人たちに誤解されている。
 
 浅田氏は、ファッション業界に長年いたということで、東京のフアッションを
ほめそやしていて大阪府ァァションなどをぼろくそに書いている。それも間違いだ。
 なにしろ、東京フアッションはだれが作り上げたかと言うことを忘れている。
東京人のデザイナーは多くはない。メーカーも多くはない。百貨店だって、三越
大丸、そごう・・みんな関西系なのだ。
 
フアッションの場合、ワールド、ジャバ、ベベ、ベルトリコ、ファミリア、オール
スタイル・・・・などなどは神戸の会社である。
みんな元は東京の会社ではない。小篠(コシノ)ジュンコ、ヒロコ姉妹は大阪
岸和田の出身だし、パリコレで名を馳せた高田ケンゾーは兵庫県姫路市だ。
三宅一生氏は広島出身である。東京が彼らを育てたのではない。彼らが
東京ファッションを育てたのである。
 
東京フアッションを作り出しているのは、東京人ではない。東京は単なる消費地
であるということを浅田次郎氏は忘れている。
多分、彼はフアッション業界に長年いたと言うが、多分営業畑にいたので、本当の姿を知らないのかもしれない。
 
 ワールド、オールスタイル、ジャバ、ベベ、ベルトリコなどは淡路島の出身者
である。ベルトリコなど知らぬという人がいるだろうが、日本のニットの神様とも
言える人である「久加天 進』氏の名前はしっておこう。
 
 浅田氏の作品が好きなだけに、大阪に関する記述の勉強不足とファッションに
関する勉強不足に少し文句を言いたくなった次第である。
 東京が作り出したフアッションと言えば竹下通りの、あのへんてこりんな
ファッションしか、私の頭にはない。
 あの界隈は以前はとても素晴らしい地域だったのに・・残念でもある。
 あの近くの原宿から青山界隈のマンションから世界に羽ばたくデザイナーたち
出て行った。あの頃、あのあたりの喫茶店では、彼が毎日巣くってファッション
議論を闘わせていたことを懐かしく思う。高田ケンゾウも、三宅イッセイも、山本
寛斎もマンションメーカーだった。
 江戸っ子が作った東京フアッションなんか、存在しないと言ってよい。
 
 ただ一つだけ、これだけは言っておこう。東京は、原宿、渋谷、銀座、新宿など
行く場所によって着て行く服装を変える楽しみを味わえる。
 それが、デザイナーたちを刺激したこは確かである。
 大阪フアッションについて書きくわえておこう。地方から進学、就職してきた若者
たちは、それまで田舎では着られなかった大胆な服装が出来るようになった。
緑の少ない大阪では原色が似合う。だから、、原色系のフアッションが多い。
それになんと言っても、階級制度にがんじがらめになって400年過ごしてきた
東京と自由を楽しんできた大阪とは違う・・アア・・いっぱい書きたいことがあるな~
 神戸はどうか、海と山が近い、緑が豊富である。だからパステル調の服装が
似合うということもあるが、大学に自宅から通う生徒が多いから、極端な
服装が出来ないという点もある。