中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

同窓会に出席して思ったこと

 84歳が集う同窓会ではあるのですが、実は私だけが「同窓」ではないのです。
何十年間にわたって続けられていた同窓会に「中原を呼ぼうか」と誘ってくれた
のでしょう。
 今日はT高校の同窓会だった。 T高校は元・女子校だったのだが、終戦後の
新制高校誕生と共に「T高校」となった。
 私は担任の教師が説得に努めてくださったのに、祖父母から高校進学を認めず
進学が出来なかった。 この時代の高校進学は難しいことではなかった。それでも
やはり進学したものと、しなかった (できなかったのではなく・・しなかった) ものと
では意識の中での差があるのだろうか。進学した者が偉いというような。
 私と共に進学できずに神戸・新開地の小さな店に就職した久加天くんは、後に
神戸で「オールスタイル」と言う会社を川上さんと共に立ち上げ、副社長となり
神戸ファッションに大きく貢献した。後にジャヴァを創立した細川氏もオールスタイル
出身なのだ。久加天氏は、東京に進出してベルトリコという素晴らしい会社を興して
大成功を成し遂げた・・が、それを知る同級生はは少ない。 彼は「ニットの神様」とも
言われたものだが・・。
 私は高校にいけなっかのではなく、行くことを許されなかっただけなのだが・・。
私のことを「人生の後半になって大化けした奴」と思う同級生がいたとしても不思議
ではない。 なにしろ、私の15才からの人生をほとんど知らないのだから。
(誰もが、お互いに人の人生の歩みなど知らないのが当然なのだが)
 私は大化けしたつもりがなく、着実に成長し、着実に実力を蓄えていたつもりなのだが、
傍目にはそれは分からない。 あいつは急に頭角を顕した・・と受け止められやすいが、
本人の私は急に・・ではなく・・着実にだと思っている。
 中学生時代の同級生 (これがとても大人数で250名ほどだった)の、誰よりも多くの
学習をしたのが私だと自負している。 大学進学した人たちよりも多く深く学習したと自負
している。 
 あいつは高校も創立したし、オーストラリアでは日本クラブの会長にもなったらしい、
豪州で社会福祉法人も作ったようだ。両陛下から御所に招かれたらしい、大化けしたぞ
・・ってことで、少しは・・と言うか・・やっとと言うか・・高校進学した中学生当時の同級生
たちから評価を受けたのだろうか?
 でも、僅かだが、私の中学生当時のことを明瞭に記憶してくれていた人も何人かはいる。
 だから今あるのも「当然」だよね・・と彼女たちは言ってくれる。 そういう人が、何人かいる
だけ私は満足なのだ。
 50歳までは自分のために生き、50歳以降は人の役に立つ生き方を・・と思ってここまで
生きられた。 あと1年か2年、誰かのお役に立てるように生きたい。
 だれだったか・・たぶん・・村上春樹さんだとおもうが・・「誤解される人ほど素晴らしい」と
書かれていた。 人がわたしをどう思おうが、私は私。 ただ一筋に生きるのみ。
ブログに書いている経歴にも偽りはない。 電子出版している「人生いろいろあって」の
1部~3部にすべてが書かれているのだが・・同級生たちのほとんどがPCを使えないので
読んでももらえてない。 知る限りではたった一人だけ、毎日読んで「いいね!」をいれて
くれている。
 昨日の集いでは、世相を語る機会もなく、みんなの人生ドラマも
聴く機会がなかったが、隣に座った彼から、高校時代の恩師の影響で通信大学で教諭
免許を取得し、小中高の教員をしたいきさつを訊くことが出来たのが幸いだった。