中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

第2の人生(25)

 しばらくこの項を書かなかったので、興ざめになってしまったかもしれないが、
中には楽しみにして下さっている方もおられるかと、再び書き始めようと思う。
 実は、豪州の邦字新聞「JA・NEWS」新聞に20年以上にわたって連載させて
もらっている。時々シリーズを変えながらこれまで続けてきた。
 この10月号でもって、[旅の思い出」シリーズ20回を終えて、次のシリーズ
に移ることになった。
 11月号からは「人生いろいろあって」と言うタイトルで、私の人生の辛い部分は
のぞいて、楽しかったこと、支えてくださった人たちのことなどを書こうと思っている。
 そのシリーズで登場する人物は、この項では書かないようにしようと考えている。
話しがダブっては面白くないからだ。
 こちらの方は時系列的に、書き進めることにしよう。
前回の(24)で、私が西豪州日本クラブ会長になったところまで書いた。
その少し前に、元会長が総会で「罷免動議」によって辞めさすぇられていた話を
書いた。 元会長と私の間には何もないが、間違った手法で永久追放された
元会長の名誉回復だけは計っておきたいとかんがえた。
 会長になって最初の総会で、「罷免と言うものは、任命権のある人が、任命した
人を辞めさせることであり、総会の選挙で選ばれた会長を、罷免などと言う
間違った解釈で追放したことは、間違いなので、この際にその時の総会決定を
破棄し、元会長の名誉回復をと考えるので、賛成してほしい」と動議を出した。
 僅か3名の反対だけで、私の案は了承された。
外国の地にあって、日本人同士が、なんと浅はかな争いをしているのだろうと
思う気持ちがそうさせた。私は正面切って勝負を挑むタイプであり、元会長
を追いだした人たちと仲良くなれることはなかったが、すくなくとも日本クラブは
邦人たちにとって、気持ちの良い居場所にしたと自負している。